彼に「入籍するとかえって破綻を招く」と言われたシヅ子

あくまで笠置の自伝を現代の感覚で読んだ印象ではあるが、なかなかズルい男ではないか。少なくとも、ドラマで、スズ子のために村山興業を捨てようとまで言った無鉄砲さのある愛助とはだいぶ違う人物にうつる。

その後も「このカルメンの公演中にエイスケさんは上京するはずでしたが、一日伸ばしに伸びて二月二十五日になるという手紙が来ました」「熱海から大阪へ電話すると。エイスケさんは京都に用があって行っているから上京は三月二十五日ごろになるだろうとのことでした」「ところが待てど暮らせど現れず。四月になってから大阪吉本の営業部長前田米市さんから手紙が来ました。それによるとエイスケさんは財産整理で可成かなり忙しい思いをした挙句、申告の前夜は最後の締めくくりで徹夜し、風邪にかかって寝ているそうなのです」と続く。

1952年当時の日本劇場。1947年に笠置シヅ子主演の「ジャズカルメン」が上演された(写真=大林組『工事画報 創業六十年記念』1952年11月/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

そして、笠置は出産。エイスケはわが子に一度も会うことなく、この世を去ることになる。

笠置にとって「義母」である吉本せいも朝ドラヒロイン

ちなみに、トミのモデルとなった人物、エイスケの母で吉本興業創業者・吉本せいは、ご存じの通り、朝ドラ「わろてんか」(2017年度下半期、NHK)で葵わかなが演じた主人公・てんのモデルでもあった。

エイスケにあたる息子・隼也を演じたのは、葵より年上の成田凌。ドラマでは隼也がアメリカ留学中に「マーチンショウ」を観て感動し、日本で実現すべく奔走する過程で加納つばき(水上京香)に一目ぼれ。つばきは取引先である大手銀行の頭取の娘で、親の決めた許嫁がいたが、隼也と恋に落ち、婚約者との結婚を拒否する。

しかし、つばきの父が激怒し、取引解消を突きつけると、てんは隼也を勘当。隼也とつばきは駆け落ちし、隼也は工場で働きながらつばきと暮らすが、召集令状が来たことで、戦地に向かう前にてんと再会。復員後は北村笑店(吉本興業がモデル)で働くのだった。

このつばきのモデルこそ、笠置シヅ子だったわけだが、「わろてんか」では史実が大きくアレンジされ、二人は幸せになっている。しかし、「ブギウギ」では旅行を最後に別れるフラグに「史実と違っても良いから、幸せになってほしい」「愛助、死なないで」という声がSNSには続出している。

はたして二人の今後はどう描かれるのか。

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