※本稿は、柏耕一『笠置シヅ子 信念の人生』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
現役の東大総長で知識人の南原繁が、笠置の後援会長だった
笠置シヅ子の後援会長は現職の東大総長、南原繁である。笠置の実父と彼が、郷里香川県の中学の同級生という縁からだった。
それ以前にも南原は、人気歌手の笠置が同級生の娘ということを知って、総長室に招くなどして親交を深めていた。
なにしろ南原といえば昭和22年(1947)5月に、アメリカとの単独講和を主張した吉田茂首相に対して、中国やソ連など全交戦国との全面講和を主張して、吉田から「曲学阿世の徒」と批判された、当時、日本を代表する進歩的知識人である。
笠置のファンはじつに幅広く、作家でいえば三島由紀夫、田村泰次郎、吉川英治。画家なら梅原龍三郎。女優では田中絹代、初代・水谷八重子、山田五十鈴と、枚挙にいとまがない。
なかでも異色なのは、いわゆる“夜の女”といわれる人たちだった。日劇で公演があれば彼女たちは大挙して押しかけ、花束を渡すなどして熱心に笠置を応援するのである。
戦後すぐのことであるから、夜の女たちの大半は戦争未亡人など、経済的に困窮をきわめた女性たちだった。
生後間もない乳呑児をかかえながら、明るく奔放なステージを繰りひろげる笠置に、彼女たちはどんな共感を寄せたのだろうか。苦しい現実をつかの間忘れさせてくれるスターへの憧れだろうか、それとも自分たちの未来への希望だろうか。
娼婦たちと知り合って10年後も「ずっとつき合いしています」
昭和25年(1950)6月6日から1週間の日劇「ブギ海を渡る」の最終公演、12日の千秋楽は日劇始まって以来の超満員で、入りきれない観客があきらめきれずに、劇場の外を取り巻いたという。
そんな日もお姐さんたちは、1階の最前列かぶりつき席に200~300人が陣取って嬌声をあげたというから、彼女たちの熱狂ぶりが知れる。
笠置はそれからおよそ10年後、週刊誌『娯楽よみうり』の連載対談「おしゃべり道中」の中で、ジャーナリスト大宅壮一から「彼女たち」との交流を聞かれて、こう答えている。
笠置の夜の女たちとの交流は、コメディアンの古川ロッパの日記にも出てきており裏付けられる。それだけ笠置の情が深いのだろうが、それだけではあるまい。
笠置は、自分の芸を認め応援してくれる人なら損得抜きなのだ。そして縁が一度できれば、大事にする性分である。