【保阪】さて、昭和天皇です。戦争中の天皇のことについてはなにも語らない、というのが、あたかも全員の了解事項でもあるような徹底ぶりでした。

【半藤】司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』みたいですね。あれにも天皇はまったく出てこないのです。

【保阪】明治天皇はまったく出てきませんか。

【半藤】出てきません。開戦のときに御前会議をやるのですが、その御前会議の場面が出てこない。乃木と明治天皇の関わりにもまったく触れていませんしね。

鈴木内閣は「天皇から信頼を寄せられた軍人の内閣」

【保阪】司馬さんは意図的にそうされたのでしょうか。

【半藤】意図的にそうしたのではないでしょうか。エッセイのなかで、天皇を抜きに眺めると日本史はよく見える、というようなことを書いておられる。私なんかは、天皇抜きの明治などあり得ないのではないかと思いますけども、いずれにしても出てきませんよ。

【保阪】さすがに侍従武官をつとめた中村俊久だけは、しっかり語っていました。これが唯一です。中村はしかも昭和十七年十月から二十年十一月まで、つまり戦中から戦後までの大事な期間にその職にあって、近くで天皇を見ていたのです。まず、自分の仕事がどういうものであったかを、わかりやすく説明しているところを引きます。

侍従武官長は蓮沼[しげる]陸軍大将、侍従武官は陸軍からは四名海軍からは三名で、私の外城英一郎、佐藤治三郎がいた。以上を以て武官府が出来ていた。その頃、侍従長は海軍から侍従武官長は陸軍から出るのが慣例になっていた。……海軍の侍従武官は一口に云うと、陛下と海軍の連絡係と云ってよかろう。軍部から拝謁の願出があれば、武官府を経て侍従から陛下の御都合を伺いお許しを頂く。軍部から允裁いんさいを要する書類は武官府からお手許に差し上げる。また、侍従武官は屢々お使いとして方々に派遣される。

鈴木内閣の陸相阿南惟幾も、侍従武官として天皇の近くにあった経験をもつ人物でした。しかもそのときの侍従長が鈴木貫太郎。左近司が鈴木内閣を「軍人内閣」と評したのはさきほど触れたとおりですが、それに倣えば鈴木内閣は「天皇から信頼を寄せられた軍人の内閣」と言い換えてもいいかもしれませんね。

鈴木貫太郎首相(首相官邸ウェブサイトより)

もし阿南惟幾が陸相ではなかったら…

【半藤】たしかに。八月十五日の朝、阿南は玉音放送を聴く前に責任をとって自刃じじんしましたが、もし陸相が阿南でなかったら……。大事件や騒乱を起こさせることなく、粛々と戦争を終わらせることができたかどうかは、難しいところだと思います。