「この難局を収拾し得るものは鈴木の外にはない」
【半藤】それのみならず鈴木は左近司に、天皇からどのような言葉をもって頼まれたのか、さらに天皇の母である貞明皇后からどう言われたのかについても話していたのです。とりわけ後者は貴重な証言のように思えます。
鈴木総理は大命を拝するに際して、天皇陛下から(侍従を経て)「この難局を収拾し得るものは鈴木の外にはない。ご苦労だが引き受けて呉れ」との御諚があったよしに承る。また、これは後日郷里関宿で直接鈴木さんから聴いた話だが、貞明皇后に御会いした際「陛下は、陸軍や海軍からいろいろ無理なことを逼られて悩み抜いておられる。私は陛下が痛々しくて致し方がない。私は親を迎えたように頼りにしている。どうか親心を以て天皇陛下を御助け下さい」と淡々と御話があって、鈴木さんは痛く感激し、これでは、身を以て御護りせねばならぬと決心したと述懐された。
ここには巷間囁かれるような貞明皇后が昭和天皇を疎んじていたとか、敗色濃厚となった情勢の責任を天皇に求めたために確執が生まれていた、などとする雰囲気はまったく窺えませんね。
【保阪】この話にふれて私自身は感傷的な気持ちになりました。鈴木貫太郎夫人のたかさんが、昭和天皇の幼年期の教育掛だったことなどを考えると、天皇は鈴木夫妻にはとくべつの感情を持っていたと思う。貞明皇后はそんなことも知っていたから、親のような気持ちで助けてくれないかと心底から頼んだと思うんです。
陸海軍は徹底抗戦・本土決戦を主張していたが…
【半藤】貞明皇后がいみじくも「陛下は、陸軍や海軍からいろいろ無理なことを逼られて悩み抜いておられる」と言ったとおり、陸海軍はいずれも徹底抗戦を叫び、本土決戦へと舵をとっています。じつはその勢いに抗うのは並大抵のことではなかった。左近司が語ったつぎのエピソードを読めば、その趨勢がどういうものであったかがわかります。
段々本土の空襲がはげしくなると、陸軍はさかんに大本営を信州松代の防空壕に移して本土決戦をせんと呼号したが、総理[鈴木貫太郎]はあんな通信連絡の不便な所に行って戦争など出来るものではないし、戦争終結も出来ないといって同意されなかった。また軍令部参謀が屢々閣僚を集めて、本土邀撃決戦の構想などを説明した。敵の予想上陸地点は九十九里浜、駿河湾、九州南部、土佐沿岸などで、敵上陸軍に対しては温存してある数千台の飛行機を以てこれを沖合に邀撃し、愈々陸岸に近接すれば特攻兵機で必殺的の攻撃を加える。国内にはなお何十万の精鋭がおる。これが敵の上陸地点に応じて随所に機動要撃するなどと、虫のよいことを長々としゃべり立てる。鈴木総理は「馬鹿馬鹿しい、どうしてそんなことができるか」と最早最後の一撃にも期待をもたれないようになった。