【半藤】中村自身、武官府勤めをした士官たちと、天皇のあいだにあった浅からぬ交流についてはこんなエピソードを紹介しています。

かつての侍従や侍従武官のことに就いては、今日なお昔通りにお目を掛けさせられており、まことに有難い次第である。当時の縁故者は、毎年一月二日宮中においてお祝膳を頂くことになっている。陛下もわざわざお出ましになって、共に御席に就かれ、一同は陛下の万歳を三唱して御歓談申し上げる。その他年末厳寒酷暑には参内して記帳する慣わしになっている。なお、私が鎌倉に住っていることは御存知なので、葉山においでの節は必ず御機嫌伺いに参上することにしている。いつも平服のまま参上し四方山よもやまのお話が出て三、四時間もお邪魔することが珍しくない。帰りには皇后陛下より必ず温かい御下がりものを頂戴するのが例になっている。まことに有難い極みである。

天皇の苦しみを理解できた将官はわずかだった

では、談話を締める中村の結語を紹介します。テーマは引き続き天皇です。

下村(さだむ)陸軍大臣[最後の陸相]は、昭和二十年一一月進駐軍最高指揮官から軍人恩給を停止されると、責を負って単独辞職をした、拝謁の際陛下は「こんどの敗戦は皇祖皇宗こうそこうそうに対しまことに申し訳がない。またちんが信頼していた陸海軍は消滅し、沢山の将兵は戦没し、その遺族や生き残りの軍人を困窮させ、その上一般国民にまで多大の迷惑を掛けた。これを思うとまことに断腸の思いである」との意味のことを沁々しみじみと語られ、下村大将は感泣かんきゅうして引き退ったと聴いているが、陛下の現在の御心境もその通りであろうと拝察し、恐れ多いことである。臣下は辞職や自決でもすれば一応責任をとったように見えるが、陛下御責任の御自覚は絶対無限である。しかし、その苦衷を誰に語ることも出来ないで、じっと御胸の中に忍んでおられるその御苦衷こそ、我々国民は深く御推量申し上げなければならないと思う。

半藤一利、保阪正康『失敗の本質 日本海軍と昭和史』(毎日文庫)
半藤一利、保阪正康『失敗の本質 日本海軍と昭和史』(毎日文庫)

【保阪】中村のこの発言はまことに象徴的なのですが、ここに登場した将官たちの発言からは、国民に対して重い責任を負うべき立場に自分たちはある、という認識のようなものがまったく見えてこない。もしかしたら、天皇をタブー視していることと、何らかの関係があるのかもしれない、そんなふうにも僕には思えるのです。半藤さんは、これを読んでいかがお感じになりましたでしょうか。

【半藤】まさに「終戦の詔勅」のなかにある「戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニたおレタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内ごだい為ニ裂ク」という言葉そのものです。天皇の苦衷は身体がばらばらに裂けるほど深いものであったのでしょう。それにくらべると、将官たちは……まこと不忠の臣ばかりでした。そして私たち国民のことなど念頭になかったのでしょうね。思えば、われら国民にとっても、このような指導者ばかりであったこと、不幸の極みというしかありません。

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