40年間も「入院」していた60代男性の自宅

私が「ゴミ屋敷」に対する理解を変えるきっかけになったのが、精神科病院に勤めていたころのことです。そこには、比較的病状が重たかったり長期入院を必要としたりする患者さんが多くいました。そんな彼らの退院後の居宅生活を支えるのが、当時の私の役割でした。

うだるように暑い、ある夏の日のことです。男性患者さんのことで、区の生活福祉課から相談の電話がありました。

「近隣住民から異臭の苦情が寄せられているんです。病院のほうからも指導してもらえないでしょうか? 私も自宅を訪問しましたが、かなりひどくて」

聞くと、公営住宅の入居者たちから、同じくそこに入居している患者さんに対しての苦情が福祉課に寄せられていて困っているとのことです。

ひと昔前は、患者さんが居宅生活で問題を起こしているとなると、すぐに入院させられていました。事実、この患者さんは約40年間にも及ぶ長期入院を経て、少し前に退院したばかりでした。

俗に言う「社会的入院」(病状は安定しているのに、住居や周囲からのサポートなど社会的な資源が得られないことによって生じている、本来は「不必要な」入院のこと)です。そのころ私が勤める部署では、この社会的入院を減らそうとしていました。

医療側が退院を判断し、居宅生活を推し進めたからには、福祉課からのSOSを無下にすることはできません。

幸いなことに患者さんは私たちのことを信用してくれていたので、通院日に自宅へ訪問して家の様子を見たい旨を申し出たところ、快く許可してくれました。

窃盗を繰り返し、精神科病院へ流れ着いた

彼の名は斎藤仁さん(仮名・68歳)、幼少期に「軽度」知的発達症だと診断されています。しかし、今よりも福祉の理解が整っていなかった時代です。おそらくはなんの支援もなく大人になってから社会に放り出されてしまったのでしょう。福祉的就労も知られていなかったことも影響したのか、仕事は長く続かず、職に就いては仕事場での喧嘩や窃盗などトラブルを起こし、逮捕・服役を繰り返します。

これは私の想像ですが、社会に出ているよりも刑事施設内での暮らしのほうが心地よかったのでしょう。倉庫に眠る約40年前のカルテによると「刑務所に戻りたいから」という理由で再び窃盗を起こし、収監されたようです。そして、社会から厄介払いされるかのように精神科病院へと流れ着いたわけで、行われたのはほとんど幽閉しておくための長期入院です。その間、親族とはほとんど没交渉でした。

長期入院している患者さんで、こうした人生を送っている人は少なくありません。必要なのは「刑罰」なのか「生活訓練」なのか、都度考えさせられたものです。知的発達症が「軽度」の場合、見た目や会話からでは明らかにならないことも少なくなく、こうして見落とされて支援の手が届かないこともあるのです。