現会長、社長は西部本社管内でキャリアをスタート

かつてのように稼げる会社への転換を目指し、朝日は6月、トップ人事を行っている。中村史郎氏が社長から新会長になり、先にも名前を出した角田氏が専務から新社長に昇格する新体制をスタートさせた。

同社は東京、大阪、西部、名古屋の4カ所に本社を構える。所属した東京本社での部署から中村氏は政治部系、角田氏は社会部系と目されているが、しくも両氏には共通点がある。共に九州・山口・沖縄の9県をカバーする西部本社管内の地を初任地としている。

1986年4月に入社した中村氏は佐賀、その3年後1989年4月に入社した角田氏は山口が振り出しだ。ちなみに角田氏は、99年5月から静岡で勤務していたこともある。かつて自ら記事を書いていた山口・静岡両県の夕刊を休止することに、角田氏はどのような感想を持っているのだろうか。

ベテラン男性社員Bによると、中村・角田両氏に代表されるように、「セイブ(西部本社)は人材供給面も含め、社内で小粒ながら独特な存在感があった」。

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東京から遠いからこそ、優秀な記者が発掘されてきた

本社間のヒエラルキーでトップに君臨するのは、もちろん東京本社だ。大阪本社は創刊の地で、同社が主催する「全国高校野球選手権大会」(夏の甲子園)が開かれる地域でもある。東京に次ぐ部数を誇ることもあり、独自の求心力を維持してきた。その反面、優秀な記者を大阪本社管内に囲って東京に出そうとしない、出しても戻そうとするなどの弊害もあったという。

他方、名古屋本社は距離の近さから東京の影響を強く受けてきた。地元紙の中日新聞が牙城を築き、特ダネ・独自ダネの獲得に苦労する記者は目立ちにくかった。

この点、西部本社は東京から遠い上に、特に福岡や山口で朝日新聞は一定の部数を確保してきた。読者の支えを受けた記者は活躍しやすい上、大阪のような人材囲い込み傾向もなく、力がある記者は東京に出られた。中村氏は佐賀から直に東京の政治部に、角田氏は山口から、西部本社の社会部を経て、東京本社の同部に異動している。

男性Bはこうした解説を披露したが、「近年、本社をまたいだ異動も増えたし、セイブの独自性も薄くなっています」とも付け足した。

福岡の夕刊休止にも増して、男性Bが気にするのは、朝日が「全国紙の看板」をどうしていくのかだ。