「官邸官僚」の誕生

もう一つは、役所の序列を論じる意味が薄れたことだ。1990年代までは財務省主導システムで、時折、新技術や産業の出現というフロンティアで急速に力を持つようになった役所などが勃興することがあった。例えば、筆者が所属していた旧労働省は「三流官庁」と揶揄されたものだが、労働者派遣事業が現れ出した頃、半ば冗談ながら「労働省にも影響を及ぼすことができる産業や利権が出現した」と語っている人がいた。旧郵政省も有力な官庁ではなかったが、テレビ局への許認可と政治力のある特定郵便局を抱えていることで大きな力をもった。組織としての利権が官僚個々人に幅広く均等に配分されなくなった結果、もはや、組織を論じる意味が薄れた。

それでは、官邸主導システムに支配された霞が関の力学をどう読み解けばいいのか?

基準が官邸への距離感であることは同じだが、官僚個々人の力量と政策分野が格段に重要度を増しているというのが結論になる。

「官邸官僚」という言葉がすべてを象徴している。もはや出身省庁での出世や事務次官への忠誠など何の役にも立たない。自分を犠牲にして職場に尽くして出世したとしても、官邸から下りてくる仕事をやらされているだけ。そういう状況を脱するだけでなく、一省庁にとどまらない活躍をするためには、官邸の覚えめでたき官僚となることが重要だ。

権力と栄達を求める官僚にとっては最高の時代

ブラック霞が関で疲れ果てている官僚や、平凡な日常生活と些細な出世を願う官僚はいざ知らず、権力と栄達を求める官僚にとって、今ほど良い時代はないとも言える。官邸に絡んだ大きな仕事ができるだけでなく、何かと役所に難癖をつけてくる族議員から文句をつけられるどころか、官邸の意向だと命令することさえできる。

中野雅至『没落官僚 国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ)

その意味では、やる気のある官僚は日々、仕事をこなしながらも、虎視眈々と、有力政治家と近付きになれる機会をうかがったり、内閣府や内閣官房など官邸に近付ける場所への出向を狙ったりしている。その一方で、受験秀才で真面目が取り柄の官僚(正確に言えば、日々の仕事を真面目にこなそうとする普通の官僚)のしかばねが積み上がっていくということになる。

もう一つは、これまでのような役所の利権ではなく、政策分野の重要性に応じて、各省が置かれる立場が大きく変化しているということだ。それは新しく創設された役所や大臣の数から推測できるし、官房副長官や首相秘書官などの官邸直結の主要ポストに就いている政治家の格などからも推測できる。

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