財務省の力が落ちたと言われるのは本当なのか。元労働省キャリア官僚で神戸学院大学教授の中野雅至さんは「財務省はかつてのような力を失いつつある。首相・官邸に権力が集中するようになったのが背景の一つだ。今や『官邸官僚』が力を持つようになっている」という――。

※本稿は、中野雅至『没落官僚 国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

財務省(2022年10月20日)
写真提供=© Stanislav Kogiku/SOPA Images via ZUMA Press Wire/共同通信イメージズ
財務省(2022年10月20日)

財務省の力は落ちたのか

霞が関ではしばしば栄枯盛衰が語られる。それだけ権力とは変動が激しいことを反映しているのか、それとも、日々の仕事に虚しさを感じる役人が多いのか、あるいは、権力好きが多いからこそ、栄枯盛衰を語りたくなるのか……。

それでは改めて、権力とは何か?

マスコミで脚光を浴びる政治家を思い浮かべた皆さんも少なくないと思われるが、霞が関では、どこの役所に力があるのかという話もよく聞かれる。ただ、役所という組織を論じる場合のヴァリエーションはそれほど多くはない。決まって聞かれるのは「財務省の力は落ちたかどうか」だ。

明治時代以来、どれだけ時間が経っても、霞が関の省庁間の力学はそう大きく変動していないからだ。戦前は、巨大な内務省(旧自治省、警察庁、旧建設省、旧厚生省、旧労働省を合わせた官庁)が存在し、大蔵省(現在の財務省)と権力の双璧を形成していたが、戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって内務省が解体され、予算・税・民間金融というカネの流れを支配している旧大蔵省=財務省が圧倒的優位に立ったこともあり、どこの役所が優位かを語る意味などそれほどなかった。

「日本のカネをすべて握っている」役所

ただ、1990年代の行財政改革以降、そんな状況が一変した。財務省を凌ぐ役所が現れたからと言えばそうとも言えるが、そもそも役所の力学自体を論じる意味が薄れたということもある。

なぜ、霞が関の権力力学は、それほど激しく変化したのだろうか?

財務省の力の源泉については拙著(2012)も含めて数々の書籍や論評があるが、ごく簡単にまとめれば、次のようになるだろう。

日本のカネをすべて握っていること。民間金融機関に関しては金融庁に業務が移管されたものの、予算、税、国際金融というお金の流れは財務省が掌握している。

予算を握られているため、他省庁は財務省に頭が上がらない。それは検察や警察という超権力機関も同じだ。財務省絡みの事件が起きる度に、手が出せないんじゃないかという噂がまことしやかに流れるのは、他省庁の予算に大きな影響を与えているからだ。それを反映しているのか、並びや均衡を重視する霞が関にあって、財務省だけは一段格上の扱いになっており、各省事務次官に対応するのは財務省事務次官ではなく主計局長である。