※本稿は、中野雅至『没落官僚 国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
官僚批判の最たるもの「天下り」
官僚批判の最たるものと言えば「天下り」だろう。1990年代半ば以降の改革でも、天下りの撲滅は主な目的とされ、国家公務員法が改正された2007年には、各省が再就職を斡旋することが禁止された。
あれからすでに17年が経過している。一体、どれだけの効果があったのだろうか?
役所の先輩や同僚から年賀状をもらい、そこに身近で起きたさまざまな出来事が綴られている現状に接する時、天下り規制の効果は大きかったのではないかと思わざるを得ない。とりわけ一部の真面目な官僚にとっては、厳しい老後が待ち受けている。そんな気がするのだ。
ただ、ごく一部の官僚は、かつてとは比較にならないくらい金銭面に恵まれた再就職=天下りを享受している。いくつもの民間企業から顧問や社外取締役の立場を与えられ、悠々自適の老後を満喫している。
天下りの現在地をどう読み解けばいいのか?
まずは基本に立ち返って、天下り発生のメカニズムやその是非、規制の枠組みから考えてみることにしよう。
天下りの定義は難しい。ここではごく簡単に、役所が斡旋する国家公務員の再就職と定義しよう。逆に言えば、能力本位による自力の再就職は天下りではなく、再就職である。どう見極めるのかは……正直わからない。
天下り発生の要因は「役所の人事や雇用制度」
それでは改めて、天下りが発生するのはなぜか?
最大の要因は、役所の人事や雇用慣行にある。役所の場合、民間企業と違って自由にポストを作ることができない。法令で縛りを受けている。局長ポストはごく少数であるから、キャリア官僚がいくら難関試験を突破した人材といっても、全員が局長になれるわけではない。
ここが天下りの基点となる。ポストが限定されているため、若手を審議官や局長などに抜擢していくためには年輩の官僚に辞めてもらわないといけない。定年まで居座られるとポストが空かないからだ。そのため、役所では「早期退職勧奨制度」というものがあるのだが、辞める側にも生活がある。こうやって出来上がったのが関連企業や団体への再就職=天下りである。筆者が調べたところ、この雇用慣行は相当古くから続いていて、少なくとも昭和初期にはすでにその萌芽が見られる。
もう一つは、官僚の年金水準の低さだ。慎ましやかな生活を送るには十分だという批判はあるが、戦前の恩給制度のような手厚いものではないため、老後はどうしても働くことを前提に考えざるを得ない。