前述の燃費の問題も、最終的にはこの横の連携によって解決されていったものだ。例えば走り出しのためにモーターを使えば当然、燃費は悪化することになる。その課題を宍戸と共有した太田が車体の空力性能を改善することで取り返し、さらには転がりのよりよいタイヤの開発を発注すると同時にブレーキ性能を高める、といった具合に。

その意味で彼らが上遠野に望んだのも、「チーム・フィット」の一員としてこの横の連なりに加わり、小型車とハイブリッド車双方の利点を兼ね備えた「フィットハイブリッド」の理想を遠くに見つめることだった。


フィットハイブリッド開発チーム(※)

「我々はすでに一歩を踏み出してしまった。次は彼がもう一歩を踏み出してくれるかどうかでした」と永峰は言う。その姿勢を共有して初めて、「何ができないか」ではなく「何ができるか」を話し合う雰囲気がつくり出される。ときに強硬な言葉遣いでフィットの原点を語る彼らと接しながら、上遠野は「これまでのような守りの姿勢ではだめなんだ」と次第に覚悟を決めていった。

宍戸が話す。

「1つのものをつくり上げるとき、最初の方向性を共有するまでは大変だけれど、それさえできれば後は早い。ホンダという会社に勤めている限り、お客様のことを第一に考えるという価値観は誰もが胸に秘めているはず。その気持ちを積極的に肯定して、引き出していったんですね」

フィットハイブリッドが完成したのは2010年夏のこと。試乗会でテストコースを走った顧客の評価も上々で、彼らはほっと胸をなでおろした。

しかし何より4人の胸を打ったのは、同じ頃に行われた社内の営業部向けの勉強会で、上遠野がフィットの魅力を自信に満ちた表情で説明しているのを見たことだった。プロジェクトチームと自らの部署との間で板挟みになりながらも、日夜、会社に遅くまで残って開発を続けた。その彼が、「ハイブリッド車ではなく、これはフィットなのだ」という価値観を今度は自ら語っている……。

そうした様子を見ていると、人見は胸が熱くなった。そして同時に、彼はこんな思いを抱くのだった。

「車が完成した嬉しさの一方で、もっとできたんじゃないか、という思いが残るんです。だから、僕は車の出来を聞かれたら『90点』といつも答えちゃう。このもっとやらなきゃ、もっと上があったんじゃないか、と思うのが、結局は我々エンジニアというものの性質なのでしょうね」

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

【写真※注】フィットハイブリッド開発チーム/(左から)四輪開発センターLPL(開発責任者)の人見康平氏。第12技術開発室主任研究員で実車性能を担当した太田孝弘氏。第5技術開発室第2ブロック研究員でハイブリッド担当の上遠野義久氏。第11技術開発室主任研究員で設計担当の永峰晋吾氏。第3技術開発室主任研究員でエンジン・ミッション担当の宍戸信彦氏。「人の役に立ちたいというエンジニアの原点を肯定する社風がある」(宍戸氏)
(小倉和徳=撮影)
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