なぜ「円」になったのか

大隈重信らが「十進法の通貨制度」を提言し、その提言をもとに法制度や新硬貨が作られ、「新貨幣の呼称は円とする」という新貨条例が公布されたのは1871年(明治4)5月である。

新通貨制度の大隈案では新貨幣の呼称は「円」ではなく「元」だった。ということは、この二年数カ月の間に何らかの議論があって「元」が退けられ、「円」になったということは間違いないのだが、その経過がまったくわからない。理由は火事である。

「明治五年二月に発生した旧江戸城内にあった紙幣寮の火災と、明治六年五月の皇居炎上による太政官衙類焼という二度にわたる災禍に、明治四年までの貨幣関係の中心的重要書類が焼失してしまった」(『円の誕生』三上隆三、講談社)

従って、なぜ「円」になったかはいまだに定説がない。もっともあれこれ推測はできるので、そうした諸説を紹介しよう。その前になぜ大隈は「元」を提案したのか、その背景を知っておく必要がある。

金貨銀貨が長方形だった日本は非常に珍しかった

まず明治政府が決めた日本の通貨の呼称を「円」と書いたが、正確には「圓」である。

「円」はこの字の新字体で、昭和24年に告示された当用漢字字体表に採用されたもので日本独自の表記だが、明治にはこの字体はまだ無かった。

そして、日本ではこれを「エン」と発音するが、中国語では「圓」と「元」は同じ発音になる。したがって字画が多く書きにくい「圓」の代わりに「元」が使われるようになった。つまり中国語では「人民元」と言っても「人民圓」と言っても同じ発音になるということだ。

ではなぜ「お金」のことを「圓」と呼ぶようになったかといえば、世界に通用する貨幣、貿易決済用の貨幣といってもいいが、すべて「圓(円)形」であったからだろう。ローマ帝国の金貨も、幕末世界中で使われていたメキシコドル銀貨もすべて円形である。

この点、日本は非常に珍しい国で一分銀や二朱金のような長方形の金貨銀貨を使っていた。これは幕末日本にやって来た外国人には大変不評であった。四隅が折れやすいなど損耗する危険性が高かったからである。

天保二朱判(画像=As6673/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

「圓」と「元」と「ウォン」は同じ

逆に今、なぜ世界のコインは「円形」なのかおわかりになったと思う。その方が地金の損耗を防げるからである。中国の銅銭も昔から丸い。そういうことで、「丸い」という意味を示す「圓」が中国においてまず外国の通貨の呼称として定着した。ただし中国には新字体などという便利なものはなかったので、書きにくい圓ではなく、同じ発音で書きやすい元が使われるようになった。

元には「根源」という意味があるので、この点からも圓の代わりに貨幣の呼称として使うのは適当だと思われたのだろう。大隈は基礎教育を江戸時代に受けた人間である。つまり彼にとっては元も圓も同じことだったのではないか。

それでは、なぜ、新政府は元ではなく圓を採用したのか。元はかつて日本に攻めてきた中国の王朝名でもある(元寇)。縁起が悪いと新政府の面々は敬遠したのではないだろうか。これは私の推測である。

ちなみに今でも圓を通貨の呼称にしている国があるといったら驚くだろうか。お隣の韓国である。圓を「韓国なまり」で読むとウォンになる。だから中国ではウォンのことを韓圓(韓元)と書く。そして日本円は日圓(日元)だから、元を正式な通貨呼称にした中国から見れば、この三国の通貨は「同じ」ということにもなる。