硬貨と紙幣の製造方法を輸入

十進法の通貨制度を定着させるためには、それに見合う硬貨(コイン)と紙幣が絶対に必要である。まずはコインを発行しようということになったが、それにあたって新政府はその製造技術のすべてを海外から輸入することにした。つまり幕府の造幣局にあたる金座、銀座の技術を捨て、ゼロから始めようと考えたのである。

そう考えた理由はいくつかある。

第一に日本は特に金貨銀貨について円形のものを製造した経験がなかったことだ。銅銭は寛永通宝などがあるが、あれは鋳物である。しかし当時からコインは板状にした金や銀を、型を刻んだ機械で打ち抜いて作るのが一般的だった。ずっと前にも述べたが、その方が量目を正確にできるからである。当然ながらそんな技術は日本にまったく無かった。つまり外国から製造機を輸入しなければいけないということだ。

またコインの表面に何らかのデザインを入れるという技術も無かった。日本は小判も一分銀も漢字の表記と極印はあるが、たとえば葵の紋を入れたり、徳川家康の肖像を入れるなどという発想はまったく無かった。なぜ無かったかはおわかりだろう、朱子学の影響で金銭が卑しいものと考えられていたからである。そんな考えの無いローマ帝国では皇帝の権威の象徴として、その肖像をコインに打ち込むのは当たり前のことだった。

硬貨の絵柄に「龍」が選ばれた理由

結局デザインには皇室を象徴する菊の紋、新政府を象徴する桐の紋を入れることになった。この伝統は実は現在も生きている。お手元に日本国旅券つまりパスポートがあったらご覧になるといい。表紙には菊の紋が写真欄には桐の紋が印刷されているはずである。問題はデザインだ。どんな「絵」を入れるかということである。それは龍の図に決定した。

龍の図が刻まれた旧十円金貨
龍の図が刻まれた旧十円金貨(画像=As6673/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

ところで、なぜ「龍」に決定したかということについて、推測を述べよう。ここらあたりも記録はないが、新政府にコインのデザインのアドバイスを求められた外国人たちは、「明治天皇の肖像にすればいい」と答えたと思う。日本は明治天皇のもとで生まれ変わった。ローマ帝国なら当然「コインの肖像になる資格がある」。それは当人にとっても名誉なことであり、その功績を永久に記念することにもなる。

特に日本が造幣技術の供与を求めたイギリスでは、15世紀末から金貨は「ソブリン」と呼ばれていた。これは「国王」という意味で、その当時から現役の国王が金貨の肖像になる習慣ができた。

またこの時点よりは後の話だが、イギリスから独立した「国王のいない国」アメリカ合衆国では、エイブラハム・リンカーン(1セント)、ジョージ・ワシントン(25セント)といった過去に大きな業績をあげた大統領がコインの肖像になっている。このことはいわば当時の西欧世界の常識だから外国人たちはそう勧めたにちがいないのだ。

しかし、当時の人々にはまだまだ朱子学の悪影響が残っていた。「金銭などという卑しいもの」に神聖な天皇の肖像など使えない。しかしそうすることが近代化への第一歩だとするとどうしたらいいか。

井沢元彦『歴史・経済・文化の論点がわかる お金の日本史 完全版 和同開珎からバブル経済まで』(KADOKAWA)
井沢元彦『歴史・経済・文化の論点がわかる お金の日本史 完全版 和同開珎からバブル経済まで』(KADOKAWA)

ところで天皇の肉声のことを「玉音」という。1945年(昭和20)8月15日の玉音放送でおなじみだ。では天皇の「お顔」のことを何というか。そう、「龍顔」というのである。

天皇のお顔のことを「龍顔」というのは当時の教養ある人間ならだれでも知っている常識である。一方、国王(あるいは大統領など元首)の肖像をその国のコインに刻み込むのはローマ帝国の昔から2000年以上続いた西洋社会の常識である。

つまり新政府が初めて発行した「圓(円)」の金貨銀貨のデザインが「龍」となったのは、「天皇の肖像の代替物」であったということだとおわかりいただけたと思う。

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