さて、筆者が鈴木修に同行して海外の現場を回るのは、07年2月に訪れたインドに次いで、今回は2回目だ。インドの販売店では、「整備工場の作業工程を直線にせよ」「電灯をもっと下げろ」「顧客管理にパソコンを使え」「内部留保をして、いつでも設備投資できるよう備えよ」「一流メーカーがインドに入ってきた。シェア1位だから自分たちは強いと考えたときから、終わりは始まる」などと、鬼のように厳しかった。
このときと比べると、タイの販売現場では優しい接し方である。鈴木修は「マヌーサク社長をはじめ、優秀で高学歴者が多いんだ」などと打ち明ける。シェア1位のインドと、最後発でこれからのタイとでは、接し方を敢えて変えているようにも見える。もちろん、市場規模や影響度の違いもあってのことだろうが。
夜半、記者団との会見と食事会に臨む。
「(夏に暴動が発生したインドの)マルチにこの間行ってきた。96人がケガをして、3人は骨折をした。インドは保険が小さいので、会社が全額彼らの医療費を支払った。そして僕は、生産再開で出社した93人全員と握手をしたんだ。『頑張ってくれ』とね。にっこり笑う者もいれば、下を向く者もおったよ」といったビジネスの話から、自身の健康管理に至るまで、話は多方面に及びテーブルでは時折笑いが起きた。
滞在3日目は、朝から雨模様。バンコクから車で2時間は要するタイ東南部のラヨーン県にある工場の開所式に鈴木修の姿があった。日本の販売関係者約380人も招かれていた。「(16年をメドに)なるべく早く年10万台の生産にもっていきたい。建設工事もまだやっていますが、中小企業のやりくりをご理解いただければと」などと挨拶した。
新工場ではタイ人と日本人とが一緒に働いている。ヘルメットに、「J」とあるのが日本人。また、青ヘルメットは班長や組長の幹部が、黄色は一般のワーカーが被る。黄色の「J」ヘルメットも、けっこう多いし、検査工程では女性も男性と一緒にたくさん働いている。
いつもの工場監査のように、鈴木修は工程へと歩を進めていった。それはまた、タイの現地生産という新たな挑戦に向けて、笑わない鈴木修になる瞬間だった。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時