“頭ごなし”ではなく“何か事情があるんだろうな”と思えるか
「言いわけをするんじゃない!」
これは怒っている人がよく使う言葉の一つです。
なぜ怒られるようなことをしてしまったのか、聞く耳を持とうとしないのです。頭に血が上って、言いわけに耳を傾ける余裕などないのかもしれません。
たしかにどんな事情があろうと、まずいことをしたのなら、潔く一身にその責めを負うべきです。言いわけをするなど、見苦しい態度のように思えます。
しかし場合によっては、「何か事情があるんだろうな」と思いやってあげることも必要です。でないと怒りの対象とされた人は、“理不尽に怒られている感”を強くする一方です。
たとえば、「君らしくないね。何かあったの?」というふうに「聞く耳」を持ち、一通りの事情に耳を傾けたうえで、落ち着いて諭してあげるといい。頭ごなしに怒られるより、よっぽど説教が身にしみると思います。
とくにいまはややもすると、怒ること自体がパワハラと判断されかねない時代。「怒ったらおしまい」と自戒するくらいでちょうどいいのではないでしょうか。
「大人の嗜み」で互いに歩み寄りながら、いいつき合いを
「もっと大人になろうよ」「大人の判断としてはね……」といったいい回しをすることがあります。かみ砕けば、「子どもじゃないんだから、聞き分けのないことをいうな、するな」、あるいは「そんなに我を張らず、空気を読めよ」ということでしょう。
では「大人になる」とは、どういうことか。子どもと対比して考えてみましょう。
たとえば自分の思いどおりにならないと、駄々をこねる……ようなことはしない。
気分にムラがあって、機嫌が悪いと人に当たり散らす……ようなことはしない。
考えが浅く、つまらない失敗をする……ようなことはしない。
配慮が足りず、平気で人を傷つける……ようなことはしない。
その場の和を乱す……ようなことはしない。
どうですか、改めて自己チェックをしてみると、自分には意外と子どもっぽいところがあると気づくのではありませんか?
ひとことでいえば「相手の思いや考え方を尊重してふるまう」のが大人の嗜み。この姿勢があれば、大人同士、互いに歩み寄りながら、いいつき合いができます。