「仕事をしなければいけない」と考えるから間違った道へ進む

不登校の保護者の会、みなさんはどう思われたでしょうか? 「こういうの、自校でもやってみたいな」と思った方も、きっといるでしょう。

大塚玲子『PTAでもPTAでなくてもいいんだけど、保護者と学校がこれから何をしたらいいか考えた』(教育開発研究所)

ちなみに、Kさんが会を始めるきっかけとなった、習志野市のPTAの「不登校の保護者の会」の話は、拙著『PTAでもPTAでなくてもいいんだけど、保護者と学校がこれから何をしたらいいか考えた』でたっぷり紹介しています。興味がある方は是非、ご覧ください。

PTA活動というと「ただのおしゃべりなんてダメでしょ。なにか『仕事』をしなければいけないんじゃない?」と思われがちですが、本当にそうなのでしょうか。

「クジ引きであたったから」と仕方なく広報紙をつくったり、「ポイントを一番ラクに貯められるから」とベルマークを切り貼りしたりするより、保護者同士が自ら「集まりたい」と思って集まり、話をして考え合うほうが、ずっと意味があることのように筆者には思えます。

なぜPTAにはドス黒い空気が流れがちなのか

PTAを「仕事」にしてしまうから、「我慢してやるのが当たり前」「やらない人はズルい」といった、ドス黒い空気が生まれてしまうのでは?

もちろん、これまでPTAがしてきたような学校のお手伝いも、やりたい人がいたらやればいいのです(他の人を無理に巻き込まない前提で)。ただ同時に、もっと「保護者自身が求めるもの」も、大事にしていいんじゃないかと思うのです。それはきっと、子どもや学校にもいい影響をもたらすのでは――そんな確信があります。

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