社員の輪に入れなかった
当時のリクルートの社長は、創業者の江副浩正さん。江副さんは、経営オペレーションよりも採用を優先するような人で、東大の学生が訪ねてくると、会議を抜け出して面接することもざらでした。
クオータリー(四半期)ごとに、全社員の前に出てきて話をされていましたが、江副さんとは直接対話できる距離感ではなかったですね。
私が配属されたのは、東京の神田営業所。社内でも最も小さな営業所のひとつで、主な仕事は求人広告取りでした。
最初の頃はキツかったですね。1日100件のアポ取り電話とか、朝から夕方まで飛び込み営業とか。
外回りの厳しさもさることながら、オフィスにいる時も気が休まりません。昼休みとか、社員が仲良くご飯を食べているわけですよ。その輪に入れなくて(苦笑)。学生時代からの群れたがらない性格は、相変わらずでした。
「引っ込み思案な社長」との運命的な出会い
そんな私に、営業先で運命的な出会いがありました。秋葉原で栄電子を起業されていた、染谷英雄さんという社長です。
当時は従業員が20人もいない、小さな会社でした。
染谷さんは山形の出身で、高校は進学校だったのですが、家庭の事情で東京に出て就職したそうです。
高校の求人票に「富久無線電機」というのがあって、無線だったら人と話すことはないだろうと思って応募したら、家電量販店だったと。
実は染谷さん、とても引っ込み思案な性格で、人前で流暢に話をすることができなかったそうです。