「有利子負債1兆4000億円」でも社内は明るかった

それでも好景気が続いていた頃は、まだ増収増益が続いていました。それが一気に崩れたのが、異動から1年後の1992年。バブル崩壊後は、もうどうにもなりません。

当時のリクルートの有利子負債は、およそ1兆4000億円という天文学的な数字でした。今でいう銀行の貸出金利、当時は「公定歩合」と言っていたのですが、およそ5%ですよ。1兆4000億円の貸出金利が5%ということは、700億円の利子を毎年返さなければならない計算です。

しかも、景気がどんどん冷えていくし、事件による企業イメージの悪化で、クライアントからの注文もなかなか入らない。

それでも社内の雰囲気は、決して暗くはなかった。むしろ明るかったくらいです。

オフィスでハイタッチをする人たちの手
写真=iStock.com/Delmaine Donson
「1兆4000億円の負債」でも社内は明るかった(※写真はイメージです)

危機的な状況でむしろ愛社精神が広まった

会社が危機的な状況になってから、愛社精神が一気に広まったようにも記憶します。当時のリクルートの社章はカモメだったんですが、カモメのバッジをつけて営業や接待に行く社員も増えていきます。銀座の寿司屋に行けば、塩をかれた時代ですよ。

事件以降、世間にとってのリクルートは、悪の象徴のような扱いでした。そんな逆境にあっても、従業員のベクトルさえ合っていれば、会社は倒産しない。そういう確信が得られた時、人事という仕事に対して、やりがいが感じられるようになりました。

この頃、人事部門の仲間たちと銀座の小料理屋で、夜中の2時とか3時まで「リクルートらしい人事とは何か?」について、侃々諤々かんかんがくがくと議論を続けていたことを思い出します。