政財界を揺るがした「リクルート事件」

リクルートに入社して5年くらいは、そんな感じで自分の中にあったコンプレックスが、少しずつ解消されていった時代でした。

リクルート事件が発覚したのは1988年、入社5年目のことでした。

平成生まれの方は記憶にないと思いますが、これは戦後日本における最大の企業犯罪かつ贈収賄と騒がれた疑獄ぎごく事件でした。

リクルートの関連企業で不動産を扱っていた、リクルートコスモスの未公開株が賄賂として政治家や官僚に流れていたことが発覚して、政財界を揺るがす大事件に発展したんです。

多くの逮捕者が出て、その中にはリクルートの会長だった江副さんも含まれました。

江副さんはこの年、会長を退任しています。

逆風は筆舌に尽くし難いものだった

リクルート事件は、私のその後のキャリアにも大きな影響を与えることになりました。

社内が動揺する中、私は営業から人事への異動を命じられます。事件の影響によって、リクルートから離れる社員や採用内定者の辞退続出を防ぐことが目的でした。

会社全体の人事部門だけでなく、求人や情報誌など、さまざまな部署にも人事セクションを置くことで、細やかに対応する。そのための人員が必要となって、私にも声がかかりました。

ちょうど営業の面白さに目覚めて、成績も上がってきていた頃だったので、非常に不本意な辞令でした。けれども、それが自分の天職となるわけですから、人生とはわからないものです(笑)。

1991年、今度は会社全体の人事部門に異動することとなりました。

リクルート事件の発覚から3年が経っていましたが、その影響は長期化の様相を呈していて、ビジネス面での逆風は筆舌に尽くし難いものでしたね。

リクルートという社名を見ただけで「求人広告は出さない」とか「教育トレーナーなんてやってもらいたくない」とか。そういう拒否反応が、本当にすごかったです。

「NO」と書かれたカードを持つ人
写真=iStock.com/ImpaKPro
逆風は筆舌に尽くし難いものだった(※写真はイメージです)