社会を変えるのは「否定神学的な問い」かもしれない
一方で、ユートピア小説とは真逆の「理想的でない社会とはどのような社会か」を描いたファンタジーであるディストピア小説の多くが、先述したジョージ・オーウェルの『1984』をはじめ、今日の社会においてもしばしば言及されていることを考えれば、私たちはアプローチを逆転させるべきなのかもしれません。
多くの人を参加させながら、参加した各人の持つ理想社会のイメージを多様に織り込んだしなやかで瑞々しい社会改革運動がもし可能であるのであれば、その運動は「理想社会とはどのような社会であるか?」という問いよりも、むしろ「理想社会とはどのような社会ではないのか」という否定神学的な問いによってこそ駆動されるのかもしれません。
もし、そうなのだとすれば、私たちにとって、現状の社会の有り様を批判的に眼差す「クリティカルな態度」こそが社会運動・社会構想に必要なものだということになります。