「希望の党騒動」がようやく終焉を迎えた
東京15区は自民候補不在のなか、9人が乱立する混戦を立憲が制した。維新は3位に沈んでおり、長崎3区同様「立憲vs維新」の構図での評価も可能な選挙だが、筆者はこの選挙を別の観点から注目していた。2017年秋に当時の野党第1党・民進党(民主党から改称)を大きく分裂させ、政界に「多弱野党」状態を生み出した「希望の党騒動」が、この選挙でようやく終焉を迎えた、と思えたのだ。
東京15区補選は「希望の党騒動」をめぐる主要登場人物が、ほぼオールスターキャストで登場した選挙だ。希望の党を結党した小池百合子東京都知事、当時の民進党代表として希望の党への全党合流を決めた教育無償化を実現する会の前原誠司代表、のちに希望の党の共同代表を経て国民民主党を結党した玉木雄一郎代表。そして希望の党から「排除」された枝野幸男氏らが結党した立憲民主党の議員たち――。
騒動の震源地だった東京で、立憲が再び「希望の党」側を退けて勝利した。勝敗より注目すべきはその構図だ。「排除」された側の立憲が、その後さまざまな仲間を迎え入れ「野党結集の軸」となりつつあるのに対し、「改革保守勢力の結集」を模索した希望の党側は、無所属と維新の二つの陣営に分裂した。
野党結集の軸が「非自民・非共産の改革保守勢力」から「連合から共産党まで幅広く包含する『改革保守からの脱却』勢力」に移った。それを「希望の党騒動」の終焉という形で見せてくれたのが、東京15区補選だったと筆者は考える。
小選挙区制の導入が招いた希望の党騒動
「希望の党騒動」とは何だったのか、軽く振り返ってみたい。
自民党の金権腐敗を機に導入された小選挙区制度は、自民党以上に野党に多くの負担を強いた。選挙区で1人しか当選しない選挙制度は「自民党に匹敵する規模の一つの政党としてまとまる」ことを、野党に要求したからだ。その結果生まれた野党第1党の民主党は、自民党を離党した議員から社会党出身者までを包含する「寄り合い所帯」となった。
民主党は2009年に政権を奪取したが、党内の不協和音が絶えず、3年あまりで再び野党に転落。その後の民主党(のちに民進党)は、党内の中道・リベラル系議員と保守系議員の間で、党のアイデンティティーをめぐるいさかいが絶えなかった。