「早く死にたい」と何度も呟いた祖父

長年福島で農家をしていた私の祖父も、「福島の農家はサリンを作ったオウムと同じ」に類した悪質な言説が飛び交っていた時期に、「もう俺の野菜は孫や曾孫には食わせられない」と絶望し、「もう俺は死にたい。早く死にたい。ころしてくれ。もうころしてくれ……」と何度も呟き、失意のまま他界した。

無責任に絶望を広めたさかしらな人々は、自らの言説が招いた壮絶な光景を知らない。知ろうともしない。せいぜいが、すべてを「元はと言えば事故を起こした国と東電が悪い」などと他者に責任転嫁して終わりだろう。

一度社会に広まった「絶望」を打ち消すためには、強い「希望」を広める必要がある。「必ず助ける」「絶対に復興させる」「元の暮らしを取り戻せるようにする」──そこには、あるいは厳密な意味では根拠なき「願望」「嘘」も含まれるかも知れない。

それでもなお、より酷い絶望をもたらさないよう最大限の配慮をしながら、強く、繰り返し、意識的に希望を打ち出し続ける必要がある。たとえいかなる絶望があろうと、空虚で実現不可能な絵空事と冷笑・嘲笑されようと、無責任だとのそしりや怒りを向けられようとも、それこそが、非常時であるほど、瀬戸際にある当事者の命を繋ぎとめる一筋の糸となり、運命さえ左右し得る。

写真=iStock.com/ozgurcankaya
祖父は「原発デマ」で生きる希望を失った(※写真はイメージです)

「ファクト」と「オピニオン」を混同してはならない

何より、先のことなど誰にもわからない以上、前述したように「ファクト」と「オピニオン」を混同してはならない。

林智裕『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』(徳間書店)

東電原発事故後、私は相次ぐ余震とそのたびに鳴り響く緊急地震速報の中で、屋内退避をしていた。わらにもすがる思いで携帯電話を握り情報収集すると、そこには「フクシマを廃県にしろ」「二度と人が住めない」「復興など諦めろ」「逃げない奴は馬鹿」「すべての放射性廃棄物を福島に持っていって最終処分場にしろ」「原発を誘致した福島県民の自業自得」のような、不安と恐怖に沈んだ気持ちをさらにへし折る、絶望へと誘う「オピニオン」が無数に並んでいた。

ところが、実際には彼らの描いた「予言」ははずれ、福島は復興した。

福島だけではない。たとえば広島に原爆が投下された1945年、当初は「広島には75年間草木も生えない」と言われていたが、その30年後、1975年の広島で起こっていたのは「プロ野球広島東洋カープ、初のリーグ優勝!」に沸く街の姿であった。

「情報災害」を防ぐために最も大切なことは、「社会を希望で照らす」ことだ。

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