コンテンツ所有者と利用者の所有権争い
コンテンツの所有者にとってはとんでもないことだ。彼らはデジタルデータについての人々の感じ方を変えさせ、有形物と同じように扱わせようと努力してきた。かくしてDVDの冒頭にはインターポールからの不気味な警告が現れ、どの映画も最初に「著作権侵害は犯罪です」という表示が出る。
だがさして効果を上げているとは言えない。「知的財産権」という言葉ですら、じつは戦いの一部をなしている。有形資産についての人間の直観的な所有権感覚に無形資産であるコンテンツも含めたいという顧客の要望に応えようと、著作権・特許・商標専門の弁護士たちがこの言葉を作り上げたのだ。
弁護士たちは、原始的な本能が著作権を財産とみなさないことをよく知っていた。
コンテンツの所有者と利用者が繰り広げるバトルは、基本的には所有権争いである。デジタル財は無料で共有できるようにすべきなのか。たとえばコンサートで聴いたメロディを友人に歌って聞かせるように。
それともデジタル財もマグカップやバイクと同じく財産であって、たとえかんたんに盗めるとしても法律や慣習や道徳で禁じるべきなのだろうか。いまのところ、どちらの側にも言い分があって決着はついていない。
スポーツの戦術、コメディアンのネタに所有権はあるのか
コンテンツ所有者の言い分にはどんな根拠があるのだろうか。はっきり言えるのは、ニー・ディフェンダー騒動の際の直観的な根拠、すなわち付属、早い者勝ち、占有とは違うということだ。HBOは、やはり直観的に正当化できる別の根拠を持ち出してきた。それは、労働が所有権を正当化する、というものである。つまり、自分が蒔いた種は自分で収穫するということだ。
労働に報いるのはじつにもって正当だと感じられることが多い。だがこの主張は必ず争いの一方の側の肩を持つことになる。ファッション業界はこの主張に対する反例の代表格だ。
ファッションデザイナーはみな互いの創作をコピーし合ってきた。オリジナルデザインに費やされた労働の成果は保護されない。デザインを真似るのは盗みではなく完全に合法である。
現代の経済には、シェフのレシピ、スポーツの監督が編み出す戦術や技、コメディアンのネタなど数々の創造的な領域に小さな真空地帯があり、そこでは労働に所有権を与えて報いるよりも、活発な競争と自由なイノベーションを促すほうが重要だとされている。
言い換えれば、他人が蒔いた種を収穫することが認められる。ファッションデザイナーの団体は自分が蒔いた種は自分だけが収穫できるようルールの変更を議会に毎年陳情しているが、これまでのところ成功していない。
対照的に音楽業界は、ロビー活動にかけてファッション業界より上手だ。彼らは音楽著作権の法制化に成功し、デジタル空間の楽曲も音楽業界の所有慣行に従わせている。音楽業界は法律を盾にとって、少なく見積もっても3万人以上を訴えるか、和解するか、訴えると脅してきた。大手レーベルにとってはまことに残念なことに、こうした活動は違法なダウンロードにとどめを刺すには至っていない。むしろ世論を敵に回す結果となっている。