ロックバンド「ビートルズ」のデビューから60年が経った。世界的なヒット曲を生み出したが、その著作権は長らくメンバーから離れていた。元国税調査官の大村大次郎さんは「高すぎる税金から逃れるために権利を手放したが、それがビートルズを長年苦しめることになった」という――。

※本稿は、大村大次郎『お金の流れで読み解く ビートルズの栄光と挫折』(秀和システム)の一部を再編集したものです。

『RUBBER SOUL』のレコードとジャケット
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先見の明があったディック・ジェイムズの決断

ビートルズと共同で音楽出版社を立ち上げ、株の半分をビートルズに与えるということは、音楽出版社経営者のディック・ジェイムズにとっては損のようにも見える。

しかし彼は、この出版社にビートルズを参加させることで、彼らの歓心を買い、ビートルズと重大な契約を結ぶことに成功しているのである。

その契約とは「1963年2月末から3年間、ジョンとポールのつくった曲は、すべてノーザン・ソングスに帰属する」というものである。

つまり、ディック・ジェイムズは、1963年から1966年までのビートルズの曲のほとんどの著作権を手に入れたということである。この契約が、のちにどれほどの財産になるかは、当時、だれもわかっていなかった。

ディック・ジェイムズは、非常に先見の明があったと言える。

音楽出版社ノーザン・ソングスを設立したとき、ビートルズはまだ「プリーズ・プリーズ・ミー」の1曲しかヒットを出していなかったのである。それでも彼は、今後もビートルズの曲は売れ続けると見越して、ノーザン・ソングスを立ち上げたのだ。

ジョンとポールの「とんでもない税金対策」

ノーザン・ソングスに所属しているのは、ジョンとポールだけだった。この売れ始めたばかりの若い二人の作品を管理するために、わざわざ会社をつくったわけである。

つまり、ディック・ジェイムズは、ジョンとポールの作品は、それだけ大きな価値を生むようになると踏んでいたわけだ。マネージャーのブライアンと同じく、ビートルズの魅力を早い段階から認めていた人物だと言えるだろう。

この先見の明により、ディック・ジェイムズは巨額の財産を手にすることができるのだが、最終的にはジョンとポールに恨まれることになる。