「東京からの国民の避難」も視野に入れていた

もう一つの原発事故は、自画自賛のように聞こえてしまうかもしれませんが、東京工業大学の応用物理という比較的原子力に近い分野を学んでいた私が偶然首相だったことは、その意味では良かったと思っています。

台風などの自然災害であれば、たいていの人が大なり小なり体験していて、ある程度は常識で対応を判断できると思いますが、原子力災害は日本で初めてでした。原発は特殊な装置であり、東電の社長や会長でさえも、原発の構造や原理をよく理解していません。経済産業省の原子力安全・保安院から来ていたトップ(寺坂信昭院長)は経済学部出身でしたし。もちろん(福島第一原発の)吉田昌郎所長は原子力の専門家で、彼が非常に頑張ってくれたことには、とても感謝しています。

原子力災害への対応は私が直接しましたが、それに伴う住民避難の問題は、枝野幸男官房長官と福山哲郎官房副長官が対応を考えてくれました。

「原発がどういう状況に陥っているか」と「どこまでの避難が必要か」は、まさに裏表です。原発が本当に危なくなったら、東京から住民を避難させなければなりません。そういう最悪の事態は避けられましたが、可能性は確かにありました。言葉にこそしませんでしたが、私自身、そういう危機感を持っていました。

原発事故への対応と住民避難、被災者の救援という課題を、首相の私と、官房長官と副長官、そして防衛相が、連携しながら役割分担した。内閣の中での役割分担が、それなりに機能したと思います。

筆者撮影
菅直人氏

なぜ発生翌日に首相自らヘリで現地視察をしたのか

――自衛隊に最大限の出動を求めることは、どのように判断したのですか。

地震発生の翌日(3月12日)、ヘリコプターで被災地を上空から視察しました。福島第一原発を視察した後、さらに北のほうまで飛んでもらいました。

海岸線がありませんでした。広範囲にわたって海と陸の境目がなくなっていたのです。

私自身が早い段階であの現場を見たことが、自衛隊の最大限の動員につながったと思います。北澤防衛相も頑張ってくれました。

――菅さんがヘリで現地に飛んだのは、原発の状況が官邸に入ってこないため、現地で状況を直接聞くのが最大の目的でした。もし原発事故が起きなかったとしても、津波被害を視察に行ったと思いますか。

たぶんね。原発事故は(被害が目に)見えないけれど、津波被害は見えますから。上空から見れば、海がどうなっているか、ある程度リアルな実感として分かります。原発事故と津波被害は性格が違うけれど、私の感性からすれば、どちらもきちんとこの目で把握すべきだと思ったでしょう。