書店が43年続いたということの意義

辻山さんは「ラジオ深夜便」で、じつは2回にわたって定有堂のことを取り上げてくださいました。4月16日、5月21日の2回です。伝えたかったことをまとめると四つの事柄だったと思います。

(1)人口が少ない地方の町でも、書店がその町の中で、文化の拠点になりうることを証明した。
(2)種をまいた。「この店に来れば何か知的なものに触れることができる」という種です。
(3)読書会の開催、フリーペーパーの発行。
(4)ビオトープの提唱(「本のビオトープ」は冊子『音信不通』の副題です)。書店という空間の中であたらしい芽をはぐくんでいこうという土壌づくり。

自分ではまだ気持ちの整理ができないのですが、1980年に自分で創業し、2023年に役割を終え、無事閉店したという時間の長さを皆さんのコメントの中に感じることができました。「長く続いたということの意義」を考え始めています。

本屋づくりの方法論としては、よく「商店十年説」ということを口にしてきました。どこかで耳にした話だとは思うのですが、もう引用元もわからず、自分の解釈になってしまっています。

10年を超えて持続するために必要なこと

「初発衝動」の強さというものが小さな本屋では大事です。「やりたいからやる」という「情念」です。本とか人とか、この「情念」に共鳴してくるものがあり、本屋が形成されます。身の丈を超えなければ往来、町角での共鳴が凝縮して「町の本屋」というものが誕生します。この共鳴を育むものが「物語のある本屋」です。本屋には「物語」が必要だと思います。この生成を外部から見ると「個性的本屋」ということになります。

ところでこの「個性」には賞味期限があり、ほぼ十年だろうというのが「商店十年説」です。十年を過ぎると持続するためには「個性」を超えたものになる必要があります。

さきほどの外部の「記憶のとりまとめ」はわかりやすい話だったと思うのですが、自分で「記憶」を整理しようとしはじめると、どうもだんだんわかりにくい話になってしまい、申し訳なく思います。

十年たった個性、そこでどうするかですが、賞味期限のきた「個性」に継ぎ足し継ぎ足しすると、何か別のものになってしまうのではないか、という気がしました。個性の肥大ですね。雑貨、カフェとかはやはり継ぎ足しに思えました。何を自分の初発衝動の達成と考えるか、何を成功と自分でジャッジするか、ですね。