お客さんの「薪」によって燃え続ける「焚き火」

賞味期限が来ているのですから、変わるしかありません。十年ごとに個性を変えるわけです。でもそれは「本」という「身の丈」の世界の中での出来事だと考えました。本を集め本を並べ、目に留めたお客さんが発見する、この狭い中での変化だと考えました。「カフェで読む本」「遅れて読む本」「暮らしを考える本」「哲学する本」こういう切り口が展開されました。「本」を超えた人との付き合いは必要と考えなかったのです。

本屋を営む「個性」は何度も変わらなければなりません。ただしすべては本屋の中での「物語」です。集めた本を人が発見できるか、発見し尽くされたら集め方を変える。集め方には限界があります。自分の個性が集めるからです。

しかし、集めた本を組み替えさせるような出来事があります。それは人との出会いです。一冊の未知の本を一人の人が、焚き火に継ぎ足すようにもたらす場合があります。町の本屋って「焚き火」なんですね。集めた本が作り出す世界、本屋の青空は焚き火のようなものです。通りすがりの人が何かぬくもりを感じて立ち寄る。集めた本を発見してくれる人がいないと、この火は頼りのないものになります。

本を買ってくれる人は「薪」を一本置いていってくれる人です。昨日あったように今日も焚き火が続きます。ある日珍しい「薪」を一本置いていく人が登場します。焚き火の炎が変わります。43年、そのようにして定有堂という町の本屋の焚き火が消えることなく、それだけでなく輝きに磨きをかける日々が続きました。

書店にいる女性
写真=iStock.com/Satoshi-K
※写真はイメージです

「変わるもの」の中に「変わらないもの」がある

2023年の1月に一つの歌を知りました。ますます、わかりにくい話になって申し訳ありません。

淡雪あはゆきの中にたちたる三千大千世界またその中に沫雪ぞ降る》

三千大千世界は世間一般の意味です。若い歌人の友人に尋ねたら、「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」、の三千世界だと教えてくれました。

良寛の歌です。淡雪と沫雪、字は違いますが、読みは同じです。正しい解釈はわかりません。入れ子構造になった世界の現前というのに心惹かれました。「変わるもの」の中に「変わらないもの」がある。これも入れ子構造です。

本屋の持続のためには自分の個性は取り替えのきくものと思ってきました。持続のためには役割の終えたものは脱ぎ捨てていって、できるだけシンプルにしていく、縮小、縮減する。43年過ぎて淡雪と沫雪の光景を目にしたとき、淡雪が消えて沫雪が残るという個性の果てに気づきました。