『マネジメント』刊行時の書評は皆無だった
当時のドラッカーのとりあげ方としてもう1つあるのは、1969年に刊行された『断絶の時代――来たるべき知識社会の構想』(ダイヤモンド社)の著者としてです。2010年以降のドラッカーのとりあげ方は、『もしドラ』の明らかな影響によって、『マネジメント――課題、責任、実践』(1974、ダイヤモンド社)を中心とするものになっています。
しかし1960年代から1970年代にかけてのドラッカーに関する記事は、『断絶の時代』や『見えざる革命――来たるべき高齢化社会の衝撃』(ダイヤモンド社、1976)といった巨視的な時代診断の論者としてドラッカーをとりあげるものでほぼ占められていました。というより、この頃刊行された『マネジメント』の書評を行った記事は、一般誌においても学術誌においても皆無だったのです。学術誌でドラッカーのマネジメント思想を検討する論考もありましたが、それとて数件程度に留まるものでした。
時代診断者としてのドラッカーという見方は、当時の記事内で比肩された人物からも見てとることができます。当時しばしば比肩されたのは、『新しい産業国家』(河出書房新社、1968)、『不確実性の時代』(TBSブリタニカ、1978)などで著名なジョン・K・ガルブレイス、おそらく未来学者と表現すべきハーマン・カーン、『水平思考の世界――電算機時代の創造的思考法』(講談社、1969)で話題となったエドワード・デボノなどでした。
さて、ここまでドラッカーの日本への紹介(1950年代)から1970年代までの動向を見てきました。今と異なるドラッカーの扱われ方もありますが、目を引くのは、現在とほぼ変わらないドラッカー観が既に多く見られるという点だと考えます。次回は1980年代から2000年代、つまり『もしドラ』の刊行直前までを一気に駆け抜けて、こうしたドラッカー観のさらなる展開を見ていきたいと思います。