TOPIC-2 日本人とドラッカーの出合い

まず、総体的傾向から把握したいと思います。ここでは学術誌に関する代表的データベースである国立情報学研究所の「CiNii」、一般誌に関する代表的な雑誌記事データベース「大宅壮一文庫雑誌記事索引」をそれぞれ参照します。両者の掲載記事には一部重複もありますが、いずれにしてもドラッカーについて語られた「分量」の推移を把握する参考資料にはなるはずです。

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ドラッカー関連雑誌記事・書籍の件数
※「CiNii」および「国立国会図書館サーチ」の検索日は2012年10月12日。「大宅壮一文庫雑誌記事索引」は2012年10月17日。

この2つの雑誌記事 データベースの検索・集計結果と、「国立国会図書館サーチ」における「タイトルもしくはサブタイトルにドラッカーを含む書籍点数」の集計結果をまとめたものが図です。

図から分かるのは、ドラッカーに関する雑誌記事は、1950年代から連綿と書かれ続けているものの、特に2000年代になって量が増え始め、2010年代に劇的に増加しているということです。これは書籍メディアでも同様です。このことを逆に捉えれば、概して1990年代以前は、ドラッカーという人物は、年に数件程度の雑誌記事で扱われ、年に1、2冊程度の関連本が出るという程度の注目度に過ぎなかったと言えます。もちろん後で述べるように、昔から多くの信奉者は存在していたのですが。

さて、こうした動向を踏まえつつ、以下ではドラッカーが日本において、どのように受け止められ、評価され、語られてきたのか、過去の雑誌記事を紐解きながら――各時期におけるドラッカー観を端的に表わしていると見られる記事を手がかりにしながら――考えていきたいと思います。近年の「ブーム」におけるドラッカー観は、それ以前からのドラッカー観が拡大再生産されたものに過ぎないのでしょうか、それとも新たに生まれた見方や解釈の産物なのでしょうか。

学術研究者のドラッカーへの注目

ドラッカーに日本人が注目し始めたのは1950年代半ばでした。学術研究の分野では、経営学者の藻利重隆さんがいち早くドラッカーに注目して論考を次々に発表し、1959年に『ドラッカー経営学説の研究』(森山書店)を刊行します。この著作のタイトルにあるとおり、学術研究の分野では、ドラッカーの経営学説が紹介され、また検討される時期でした。

この時期検討の対象とされたのは、処女作『経済人の終わり――新全体主義の研究』(東洋経済新報社、1963)、『産業人の未来』(未來社、1965)、『会社という概念』(東洋経済新報社、1966)、『新しい社会と新しい経営』(ダイヤモンド社、1957)、『現代の経営』(自由国民社、1956)といった、第二次世界大戦後に台頭し、ますます拡大していく新しい産業社会のあり方について考察した著作群でした。

では、考察はどのように展開されたのでしょうか。私は経営学の専門ではないので、ここでは経営学者の村田稔さんが述べた、「ドラッカーの産業社会観とは何か。それは『自由で機能する産業社会』の一語につきるであろう」(「現代の経済像――人と学説 ドラッカー」『経済セミナー』1973.9.1)という観点から整理してみたいと思います。

『経済人の終わり』や『産業人の未来』においてドラッカーはまず、ファシズムおよび共産主義は個人の自由を奪う権力形態であると退けます。しかし、社会の成員に適切な地位と役割を与え、また社会の発展を促進するような目標を提供する合法的権力――それは個人の自由を放棄させることを必ずしも求めない――は必要であるとも論じました。ドラッカーがそこで注目したのが企業でした。村田さんの表現によれば、「現代独占資本主義体制を機能させることにより、社会主義、共産主義を克服せんとする」という立場が初期ドラッカーの産業社会論であるといいます。

このような立場に多くの学術研究者が当時賛否を寄せていました。特に、第二次大戦後における「自由で機能する産業社会」の実現は、企業を中心とした資本主義体制の徹底にかかっているとするドラッカーの主張に論議が集中しました。これは先行する経営学説からの検討も多くありましたが、もう1つ当時多く見られたのは、資本主義という体制そのものを超克すべきものとして批判的に捉えるカール・マルクスの学説、いわゆるマルクス主義の観点からの批判的検討でした。

たとえば、当時の代表的な学術的論考といえる三戸公『ドラッカー――自由・社会・管理』(未來社、1971)のあとがきには、当初「最大級のブルジョア・イデオローグとしてのドラッカー批判」(261p)という目論見からドラッカーに接近したと書かれています。三戸さんはかたくななマルクス主義者ではありませんし、また後に三戸さんはドラッカーを読み込んでいくうちに、自らのうちに「マルクスの世界と並んでドラッカーの世界が形成」(262p)され、傾倒的態度に変わってきたとも述べていました。しかしいずれにせよ、三戸さんはマルクスの主張を導きとしてドラッカーの主張を整理し、現代社会における組織と人間、ひいては管理と自由の問題を考察していました。

いずれにせよ、マルクスを重要な参照項としながらも、それだけに留まらず、先行する学説との比較検討のなかで、ドラッカーの議論が学説史内に位置づけられ、解釈され、批判的に考察されるという、オーソドックスな学術研究が当時は盛んになされていました。こうした学術的検討の系譜は1990年代半ばまでは、ある程度の厚みをもって継続されることになります。

『ドラッカー経営学説の研究
 藻利重隆/森山書店/1959年

ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり-新全体主義の研究』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2007年

ドラッカー名著集10 産業人の未来』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2008年

ドラッカー名著集11 企業とは何か(注:旧題『会社という概念』)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2008年

『新しい社会と新しい経営
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/1957年

ドラッカー名著集2 現代の経営(上)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2006年

ドラッカー名著集3 現代の経営(下)』
 P.F.ドラッカー/ダイヤモンド社/2006年

ドラッカー 自由・社会・管理』
 三戸 公/未來社/1971年