地形的にはヘドロ・汚水が溜まりやすい

東京湾の地図を見ればわかるが、湾の入口の浦賀水道は房総半島と三浦半島に挟まれていて、極端に狭くなっている。

このような地形の湾は閉鎖性水域と呼ばれ、外海と湾内の海水の交換が行われにくいのが特徴である。そのため、いったん海底にヘドロが堆積されると貧酸素になり、嫌気性反応によって底質は悪化の負の連鎖循環に落ち込んでいく。

この東京湾は、明治以降、日本の近代化の先頭を走り続けた。京浜工業地帯、京葉工業地域に重化学工場をはじめ様々な工場が立ち並んだ。明治、大正そして昭和まで、汚水処理は後回しになり、多量の有毒汚水が東京湾に流れ込み続けた。

工場排水や汚物が垂れ流しにされた

臨海工業地帯の発達に伴い、人々の住居も急速に開発された。下水道は全く追い付かず、人々の排泄汚物は垂れ流しにされた。

写真=iStock.com/Weerayuth Kanchanacharoen
多量の有毒汚水が東京湾に流れ込み続けた(※写真はイメージです)

隅田川や都内の水路も汚物で臭く、人々は鼻を覆って通り過ぎていた。これらの工場排水も生活汚水も、全て東京湾に流れ込んでいった。

さらに、港湾と工業用地造成のため干潟の砂が採取された。干潟は水質を浄化するが、その干潟が姿を消した。

干潟の砂の大規模浚渫しゅんせつで、東京湾の底にはいくつものクレータのような窪地が残された。その窪地内は貧酸素になり、プランクトンは腐敗し、硫化水素が発生し、風の方向によって青潮が湧き出ていった。

東京湾の海岸線は直線の人工海岸となっている。このコンクリートの人工海岸には自浄能力はない。

昭和30年代から60年代にかけて、東京湾は劣悪な環境に追いやられた。

このような状況だった東京湾で、なぜ、江戸前の魚介類が獲れるようになったのか?