徳川家康が利根川を東に向けた
家康は、江戸湾に注ぎこんでいた利根川を銚子に向ける「利根川東遷事業」に着手し、60年かかって利根川は銚子沖に向かった。
これによって水浸しだった南関東の湿地帯は乾田化し、関東平野と呼ばれる肥沃な大農耕地が誕生した。
利根川の「地下水」が東京湾に流れ込んでいる
利根川の表流水は銚子に向かったが、山々から供給される地下水は依然として江戸湾に向かって流れ続けていた。人間は地形が供給する地下の水脈網まで変えることはできなかった。
21世紀の今も利根川は「自分の故郷は東京湾だ」と主張している。
利根川流域の山々が供給する大量の地下水は、365日、24時間休むことなく東京湾に流れ込んでいる。
この地下水が東京湾内の海水の入れ替えをしている。
入れ替えだけではない。湾内で海水と地下水の真水が混じり合い、多様なプランクトンが発生する。
そのプランクトンは多様な微生物を育て、それを狙って小魚が集まり、その小魚を狙って大型の魚も集まってくる。
こうして生態系の豊かな東京湾が再生されていく。