はじめて南極に立ってみた瞬間の思い

実際、調べてみると、4000m級の山もある。「よし、ここだ!」と狙いを定めました。

はじめての南極に立ってみると、こんなすごい世界があったんだ、と驚愕きょうがくしました。1977年、ぼくが45歳のときです。「感動」という言葉さえ陳腐になってしまうくらいの光景が目の前に広がっているのです。

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そのときは南極半島の突端の3000m級の山に登って、そこからスキーで滑ったのですが、途中で雪崩なだれに遭って「もうダメか」と覚悟しました。でも運よく助かって、おかげでいまでもぼくはここにいます。

その5年後の1983年には、南極で一番高いビンソン・マシフという4892mの山に登って、頂上からスキーで滑り降りました。

当時、南極でスキーを滑るなんて、どこの誰も考えていなかったはずです。

そもそも、いまと違って、観測隊員でもない人間が南極大陸に渡る手段がない。ところが、そこで人のつながりに助けられた。ぼくの北海道大学時代の後輩に、西村たけし君という山岳部の友人がいて、彼がチリ大学で地質学の教授をやっていたのです。その彼がアレンジしてくれたおかげで、チリの南極観測船に乗せてもらえることになりました。

「夢」はどうやって生まれてくるのか

また、ぼくの友人にディック・バスというテキサスの大金持ちがいました。彼はユタ州の山の中にスノーバードというスキーリゾートをつくってしまったほど、山とスキーが大好きな人間です。

彼とはスノーバードでスキーをしているときに出会って仲良くなり、ぼくがエベレストをスキーで滑ったという話を聞いて、彼もエベレストに登ってみたいというのです。結局、彼はその後、七大陸最高峰の登頂に成功した世界で最初の人間になります。

ぼくが南極大陸最高峰を滑りたいと思ったときは、ちょうど彼らも南極を目指しており、一緒に組んで行くことになりました。

考えてみれば、「夢」は、自分の中からだけで生まれてくるのではありません。やはり、同じような夢を持っている人たちと出会い、会話を交わし、刺激したり、されたりすることが動機になって、そこから生まれ、そして持ち続けられるものなのです。ぼくの場合、そういう友人に恵まれたことは、とてもありがたいこと、幸運なことだと思っています。