屈辱の“ドラフト指名漏れ”からどう再起したのか
今年もプロ野球ドラフト会議が行われた。育成選手を含め122人が指名され、プロ野球界という特別な舞台へ若者が飛び込んでいく。その一方で、高く評価されていたものの指名漏れとなった選手も少なくない。野球エリートである彼らにとって、その経験は人生初の挫折かもしれないが、そうやって指名されない選手は毎年必ずいる。
2015年夏、西東京大会で優勝して甲子園に出場した早稲田実業学校高等部(以下早実)の野球部にはスーパー1年生の清宮幸太郎(現日本ハム)がいた。本戦でも見事ベスト4に勝ち進んだこのチームの中で、2年の吉村優(現25歳)は控え投手として背番号16をつけてベンチ入り(3年夏はエースナンバーを背負ったが、西東京大会8強止まり)していた。
高校卒業後、2人はそれぞれ別の進路を選択した。
清宮はドラフトで1位指名されプロ野球の世界へ進み、ここ数年は新庄剛監督のもとチームの主軸に成長。片や吉村は早稲田大学先進理工学部に進学したが、野球部には入らなかった。同大の米式蹴球部(以下アメフト)で4年間を過ごし、大学院を経て来春からは会社員人生をスタートさせるのだが、そこに至るまではかなりの紆余曲折があり、自分探しの苦難の日々が続いた。