倫子の出産は将軍の正室としては155年ぶりの快挙

さて、ドラマ「大奥」の主人公・五十宮倫子は満16歳で結婚。18歳で長女を出産した(長女は翌年に早世)。22歳で夫が将軍に就任。その翌年、23歳で次女を出産した。将軍の正室が子どもを出産したのは2代将軍・秀忠以来、155年ぶりという快挙である。2人の子どもに恵まれたことが示す通り、夫の家治との夫婦仲が良かった。そして、わずか34歳で死去。

次女はまだ10歳、3年前に尾張徳川家の世子と婚約したばかり。幼い娘を残して死ぬ母親もかわいそうだが、残された娘も不憫ふびんである。しかし、その娘も2年後には早世してしまう。とにかく、将軍家の正室・側室、子女には寿命が短いケースが多く、調べるとポッコポッコ死んでいてもの悲しい。

倫子の子が2人とも女子だったので、家治の周囲は側室を強くプッシュしたようで、次女出産の14カ月後、側室・お知保の方に、待望の長男・竹千代(のちの徳川家基いえもと)が生まれる。その2カ月後には、側室・お品の方に次男の貞次郎が生まれている。ちょっと勇み足じゃない?

「徳川家治像」18世紀(画像=徳川記念財団蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

後継者問題が発生し、徳川家御三卿から選ばれることに

ところが、家治はここでピタッと子作りをやめてしまう。まだ満26歳なのに……。そして、これが後に大きな禍根かこんを残した。次男・貞次郎は生後4カ月で早世。長男・竹千代はすくすくと成長し、徳川家基と名乗ったのだが、鷹狩りの帰りに急に体調不良を訴え、満16歳で急死(毒殺のうわさが立った)。一転して将軍後継者が不在になってしまったのである。

家治は満43歳。家康だったら再び子作りに励むところだが、家治にその気力は無かったようで、養嗣子を迎えることになった。

家治には異母弟・徳川重好しげよしがいた。いわゆる御三卿ごさんきょうの一つ・清水徳川家の家祖である。ただし、満34歳にして子がなく、仮に養嗣子に迎えても再度養子を迎えなければならないので、候補から除外されたらしい。御三卿は他に田安徳川家、一橋徳川家があった。