渡米がきっかけで貸衣装店を開く
きっかけは、「ブライダル産業新聞」という業界向けの情報誌だった。
「当時アメリカで流行っていたレストランウエディングの視察旅行の参加者が募集されてたんです。その頃田舎で結婚式場をやるのもいいかなって考え始めていたので、おもしろそうだなって」
現地で通訳を介して情報交換する中、ニューヨーカーの心を強く捉えたのが、「着物」だった。
「日本の結婚式の写真を持って行って、見せたんです。そしたら、着物のページにみんな飛びついて、『アメイジングだ! これはアメリカじゃできない!』って」
白無垢、色打掛、黒引き振袖だけでなく、男性の羽織袴の写真もまた、喝采を浴びた。
「ニューヨークに行った時は、ブライダル関係の仕事をするって決めてたわけじゃなかったんです。でもこの時、『もう少し着物を頑張れ』って、言われた気がして……」
日本に帰国した池田さんは、1993年、北九州市八幡に小さな貸衣装店を開いた。
ド派手衣装の原点になった2人の新成人
「幼い頃から花嫁さんの要望を聞いてきたので、『お客様の要望は叶えるもの』っていうのが体に刷り込まれちゃってるんですよ」
細かな要望にも対応してくれるうえに、顧客との直契約だから値段も割安。小さな店はすぐに繁盛し始め、手狭になった八幡の店から現在のみやび本店、小倉に移転した。
このまま北九州市内で客足を伸ばし、ブライダル事業を軸として、順調に経営を進める予定だった2002年。池田さんの運命は思いもよらぬ方向に流されていく。
池田さんが「金さん」「銀さん」と呼ぶ、2人の男性の登場だ。
男性なら、3カ月前くらいに羽織と袴を選ぶのが一般的だが、2人がみやび本店を訪れたのは成人式まで1年というタイミングだった。背が高く体の大きい金さん。細くてひょろりとした銀さん。「怖そう」というのが第一印象だった。
店内にある男性用の羽織袴を見せると、もどかしそうに地団駄を踏んだ。
「全部違います! 金と銀しかないっちゃ! 全身金と全身銀の袴で、成人式に出るのが俺らの夢なんです!」
これには度肝を抜かれた。男性用の羽織袴は黒、グレー、白などの地味な色が中心で、金や銀の羽織袴など聞いたこともない。もちろん店内にあるはずもない。しかし、幼い時から刷り込まれてきた言葉が頭に浮かんだ。
『お客様の要望は、叶えるもの』