安いことは本当にいいことなのだろうか。旧柳川藩主・立花家が営む「柳川藩主立花邸 御花」(福岡県柳川市)は、かつて団体ツアー客を積極的に受け入れた。しかし、立花家18代目の立花千月香社長はコロナ禍を機に方針を転換。旅行会社の値下げ要求を断ったほか、平均宿泊料を2倍に引き上げた。なぜ立花社長は値上げに踏み切ったのか。フリーライターの伏見学さんが、立花社長に狙いを聞いた――。
「柳川藩主立花邸 御花」の立花千月香社長
筆者撮影
「柳川藩主立花邸 御花」の立花千月香社長

戦国武将・立花宗茂の子孫が営む「料亭旅館」が大ピンチ

「日本無双の勇将」――。豊臣秀吉や加藤清正からこう称えられた稀代の戦国武将がいる。

筑後国柳川藩(現在の福岡県柳川市)の初代藩主であり、安土桃山時代の乱世を生き抜いた立花宗茂である。関ヶ原の戦いでは西軍に属したことで改易(領地などを没収される刑罰)されたものの、その後再び旧領に復帰した唯一の大名としても知られている。

立花宗茂像(模写)、賢鉄彦良賛、原本は和歌山県大円院所蔵
立花宗茂像(模写)、賢鉄彦良賛、原本は和歌山県大円院所蔵(画像=東京大学史料編纂所/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

かつて宗茂が主であった柳川城跡のそばに、その末裔が営む老舗旅館「柳川藩主立花邸 御花」はある。切り盛りするのは立花家18代の立花千月香社長。「私は(立花)誾千代の生まれ変わりですから」と微笑む。誾千代とは宗茂の正妻であり、猛将で知られる立花道雪(戸次鑑連)の娘のことだ。

このような由緒があるからこそ、家を守るというプレッシャーは強い。コロナ禍で客足が途絶え、御花が窮地に追い込まれた時は先祖にすがる思いだった。

「毎日、先祖の位牌に手を合わせて、どうか御花をお守りくださいと念じていました」

祈りが通じたのだろう、ピンチを乗り越えて御花は生き残った。ただし、祈り以上に、立花社長らが意識を変えて道を切り拓いたことが大きかった。

一体何をしたのか。これまで数十年にわたり事業の根幹になっていた団体ツアー客の受け入れを制限し、個人客へのシフトを鮮明にした。さらに施設の入館料や宿泊代などの値上げに踏み切った。

その方向転換の裏には、安売りによって御花のブランド価値を毀損きそんしていたことへの反省と、柳川の文化、ひいては日本の文化を未来に残すという、立花社長の断固たる決意があった。