銭湯から上がったら素裸のまま家まで帰る

さらに傍証になるのは、幕末に来日した外国人の観察です。1858年8月、真夏の長崎に上陸したローレンス・オリファントというイギリス使節の随員は、「女はほとんど胸を覆わず、男は簡単な腰布をまとっているだけである」と記しています(『エルギン卿遣日使節録』)。つまり、庶民の男性は褌一丁、女性は下半身に腰巻を巻いただけの上半身裸体です。

また、1857~62年に日本に滞在し、日本近代医学の始祖になったオランダ人医師ポンペ・ファン・メールデルフォールトは「一風呂浴びたのち、男でも女でも素裸になったまま浴場から街路に出て、近いところならばそのまま自宅に帰ることもしばしばある」(『ポンペ日本滞在見聞記』)と記しています。おそらく夏の湯上りのあと、暑くて汗が引かないので、男性も女性も裸のまま家に帰ってしまうのです(実際には男性は褌、女性は腰巻をしていたと思いますが)。

明治でも女性が上半身裸で働いているのは普通の光景だった

ラグーザ・お玉(1861~1939年)という、明治初期に西洋絵画を学んだ女性が旅行先で描いた1880年頃の京都の旅館の光景では、旅館の上がり口で若い女性2人が、もろ肌脱ぎの上半身裸で石臼をまわしています。肉体労働、とくに汗をかく夏の時期に、女性が上半身裸体になるのは、明治期になっても珍しいことではなかったことがわかります。

私も小学生の頃、夏の夕暮れ、往来の縁台で近所のおばさんが、乳房が見える状態で夕涼みをしていた記憶があります。たぶん1963年前後でしょう。「おばさん」と言っても実年齢はおそらく40歳前後、今風に言えばアラフォーの女性です。生活習慣的には、1960年代まで、江戸時代的な羞恥感覚が残っていたのかもしれません。