ジェンダーとセクシュアリティを分けるのは「他者」の存在

ジェンダーとの区分を意識して、もっと細かく言いますと、「『性』に関わる事象のうち、性的指向(Sexual Orientation)、性的嗜好しこう(Sexual Preference)、性幻想(Sexual Fantasy)、性的技巧(Sexual Technique)などを中心とする概念」になります。ちなみに、普通のセクシュアリティ研究者は性的指向、性的嗜好、性幻想の3つで語ります。私は性的技巧を入れて4つなので、「性的技巧など学問ではない!」と叱られます。

セクシュアリティで重要なことは、基本的に「性的他者」が存在することです。「性的自己」(自分)と「性的他者」の関係性がセクシュアリティなのです。この場合、「性的他者」は実在か非実在かは問いません。また、必ずしも一対一である必要もありません。「性的他者」が非実在だったり、複数であるセクシュアリティを否定する人もいますが、私はその立場はとりません。

「ジェンダーとセクシュアリティの違いは何ですか?」という質問がときどきあります。なかなか良い質問ですが、簡潔に答えるのは難しいです。あえて答えれば、ジェンダーとは、私(性的自己)と社会との関係性です。それに対して、セクシュアリティとは、先ほど述べたように私(性的自己)とあなた(性的他者)の関係性になります。もちろんその背景(環境)として社会はあるのですが、それは第二義的です。

何が欲情装置になるかは歴史と文化によって異なる

つぎに、セクシュアリティの構築性の話です。「ジェンダーが構築される話はまだわかるけど、セクシュアリティは本能でしょう?」と考える人は世の中にたくさんいます。たしかに人間も動物ですから、子孫を残す本能、そのための生殖行動をとる身体機能を持っています。ですから性的欲望の存在そのものは、生物学的な身体に由来する本能的なものと言えます。

しかし、その性的欲望が何に向かうか、何に性的欲望を覚えるかになると、本能的とは言えない多様性を持っています。それは、社会・文化的に構築されたものと考えるのが妥当です。

この点について上野千鶴子さんは、「欲望もまた社会的に構築されるものであるならば、セクシュアリティとはすぐれて文化的なものである」と言っています。私もほぼ同じ見解です。性的欲望、存在そのものは本能に由来するものであっても、その質は社会的・文化的に構築されたものになります。つまり何に対して性的欲望を抱くか、何が欲情装置(欲情の引き金)になるかは、歴史的・文化的に異なるのです。