「素人集団」でも経営の知見は十分に持っている
プロに権限移譲するのは当然だろう。理事会は大学と関係が深い名士や成功者で構成させる「素人集団」を特徴にしており、自ら大学経営を手掛ける時間もノウハウも持ち合わせていない。
「素人集団」とはいっても、各理事はビジネスや投資など各分野で一流の実績を残している。大局的な経営判断を下すのに必要な知見は十分に持ち合わせているということだ。
日大は百八十度違った。元理事長の田中氏は執行部を牛耳って事実上のCEOになり、権力を謳歌していた。日大相撲部で学生横綱になり、相撲部監督も務めたがちがちの体育会系。経営のプロとしての経験をどれだけ積んでいたのだろうか……。
日本の大学で「副学長理事」がいなくなる日は来るのか
日本企業をめぐっても、ガバナンス上の最大の問題点はかねて監督の執行の一体化だった。「専務取締役」といった肩書が示すように、監督側のポスト「取締役」と執行側のポスト「専務」が同一人物を占めていた。
取締役会と経営陣の顔触れが同じになり、チェック役不在の状況が生まれたのだ。取締役会メンバーの大半が「雇ってもらっている」という意識を持っており、トップに物申せなくなる。結果として「ワンマン社長」が生まれる。
近年になって日本企業も社外取締役を増やしてきているとはいえ、「大半が社外取締役」というグローバルスタンダードにはなかなか追い付けていない。多額の報酬をもらっている社外取締役も目立つ。
「専務取締役」ならぬ「副学長理事」が常態化している日本の大学も、ガバナンス改革では世界から周回遅れの状況にある。
記者会見で見えた一抹の光明
私大については「チェック役として評議員会がある」という指摘もある。しかし評議員会はチェック役として有名無実化したままだ。そもそも評議員会の権限強化は屋上屋を重ねる形になるし、評議員会・理事会・執行部という三重構造は複雑過ぎる。
文科省が理事会の権限強化を進めてきたという歴史的経緯も忘れてはならない。補助金漬けになっている私大からすれば文科省の意向は無視できない。
12月4日に日大が開催した記者会見では一抹の光明も見えた。派手なスーツを着た久保利英明弁護士も同席していたのだ。
個人的な話で恐縮だが、久保利氏とは長い付き合いだ。30年前に同僚と共に書いた『株主の反乱』(日本経済新聞社)で大変にお世話になった。
当時「将来引退したら株主のための駆け込み寺をつくりたい」と語っていた久保利氏は「ガバナンスの旗手」だ。同氏の力を借りて日大が本物の改革に乗り出してお手本を見せてくれればいいのだが……。日本の大学が国際競争力を大きく落としている主因はガバナンスの不全かもしれないのだ。