まともなガバナンス改革案が出てこない
日本大学が揺れている。アメフト部の違法薬物事件をめぐり、11月29日の臨時理事会では学長・副学長の辞任や理事長の減俸が決まった。
不祥事が起きるたびに叫ばれるのがガバナンス改革だ。文科省の外郭団体が10月23日に日大への補助金不交付を決めた際には、盛山正仁文相は「学校法人としてのガバナンス強化を含む管理体制の再構築を求める」と強調した。
これで補助金不交付は3年連続だ。2021~22年度分も元理事長の脱税事件などを受けて不交付となっている。2020年度交付の補助金は90億円に上り、全国で2番目に多かった。
ガバナンスは「統治・支配・管理」を意味する言葉だ。企業経営であれば株主価値の最大化、大学経営であれば社会貢献の最大化を実現するための仕組みを指す。ガバナンスが働いている大学であれば、倫理や法令の遵守はもちろんのこと、長期的には研究・教育での競争力向上も期待できる。
しかし、これまでのところ、まともなガバナンス改革案が出てきているようには見えない。ガバナンスの基本は「監督と執行の分離」であるというのに、それがほとんど議論になっていないのだ。
執行部をチェックする理事会が機能不全に
企業のガバナンスを長らく取材してきた立場からすると、一見するだけで日大理事会(理事長)と執行部(学長)の関係性に疑問を抱いてしまう。「監督と執行の分離」とは真逆の「監督と執行の一体化」が基本になっているからだ。
企業に例えれば、大学の理事会は取締役会、大学の執行部は経営陣に相当する。取締役会が経営陣をチェックするように、理事会は執行部をチェックするよう求められる。理事会は経営全般を執行部に一任し、監督に専念するのが理想形と言い換えてもいい。
当たり前のことである。経営トップの暴走にブレーキをかける仕組みがなければ、「チェックなき権力は腐敗する」という格言通りになってしまう。
ところが、実際には理事会と執行部が一体化している。これでは「理事会が理事会をチェックする」格好になり、トップの暴走を許すノーチェック体制がまかり通ってしまう。