国会の議論を「中身のあるもの」にするために
予算の中身についていくら議論を重ねても原案のまま成立してしまうため、国会審議の中心は国会議員による不祥事やスキャンダルとなることも多い。
国会の議論を空疎なものではなく、もっと国民生活に即した中身のあるものにするためには、議論に合わせて予算案の中身が変わっていくような柔軟性が必要であるはずだ。
しかし、国会では様々なルールや規則のもとでの日程闘争やフィリバスターで与野党が戦うことが常態化している。
ルールを尊重することは立法府においては非常に大事なことだろう。
それでも、いつまでも時代遅れなルールを放置して、形式にとらわれることが立法府のあるべき姿ではないはずだ。
日本の国会は形式主義に陥っており、急速に変化する時代の波に取り残されて久しい。
国会がこのような有様では、今の時代に即した社会のあるべき姿を、政治の側から指し示すことはできない。
国会を単なる形式的なものではなく、中身のあるものにするために、議員には自らを取り囲むルールの不断の見直しをしてもらいたい。