不安と戦わない、という方法
ただ、不安と戦わない、という方法もある。目を逸らしておく、という戦略はとても有効なものだ。忘れるとか、勘違いするとか、幻想を抱く、ということができるのは、人間にとっての福音なのかもしれない。論理的に考えれば共有できるはずもない感覚を、誰かと共有していると一瞬でも思えることがあったら、それが幸せというべきものだろう。おいしいものを食べて、別々の味をきっと感じているのに違いないけれど、おいしいね、と言い合えること。それは、とても幸せな刹那ではないだろうか。
存在論的な不安は根本的には死によって解消される。しかし、生きていることで感じられる、ちょっとした刹那の幸福の連鎖を味わい続けることが、もしかしたら、生きるということの意味なのかもしれない。