不安感情は脳の中に地獄をもたらす

不安感情は、本当は存在しないこの地獄を、脳の中に構築してしまう。

中野信子『脳の闇』(新潮新書)
中野信子『脳の闇』(新潮新書)

私はいまもずっと、それに悩まされている。生きることそのものが、消化試合のように感じられてしまう。博士号をとるまではまだ良かった。けれど、いまはもう走ることができない。目標をわざわざ設定するのも茶番的でしっくりこない。自分の物語、新しいストーリーが見つからずに困っているといってもいい。研究も悪くないが、結局は大学での椅子取りゲームのための論文、そんなものを書きたくない……。

こんな閉塞感や漠然とした虚しさを抱えているとき、知能は何の役にも立たない。論理も、記憶力も助けてはくれない。

むしろ、忘れる能力、論理的に考えないことによる突破力、あえて思考停止するというアプローチの方が、有効なのではないだろうか。そうすることによって、人生をもうすこしだけ生き延びる力が得られるように思える。私にとっては、そうするための装置として「結婚」があった。不安のアンテナを、鈍らせるための。

日々ささいなことに満足して幸せに生きていけることの大切さは、むしろ不快な記憶を忘れ、不安な未来を予測してしまわない鈍さがあってこそ、感じられるものではないだろうか。人間は、思い出は記憶しているけれど、記憶はすべては思い出せない。このことに、人間の能力の一端が表れているといえないだろうか。

自然に忘れる、ということを人工知能に実装するのは現在の技術ではまだ難しい。人間の脳は、機械よりはるかによくできている。必要性の薄い記憶を忘れ、論理的に考えすぎないことによって、巧みに生きていける。そう仕組まれているように私には見える。

婚姻届
写真=iStock.com/shirosuna-m
※写真はイメージです

自分の中の不安は生物としてなくてはならないもの

人間は、誘惑に弱く、欲深く、愚かで、忘れっぽい……。その方が生き延びる力が高い、ということは十分ありえることだ。承認欲求があることの意味も、そういうことなのだろう。適応の結果、承認欲求の高い個体が生き延びたのだとすれば、これを利用した方が生き延びやすいに違いない。こうしたことを私は、自分の不安、自分の中に存在している空洞を見るにつけ、しみじみと考えてしまう。

この空洞は自力で埋められるようなものではなく、それを利用しようと近づいてくる人に対する防御法もない。救いようがないと思われるかもしれないが、解決される性質の問題ではない、ということを知っておくのは、悪くないだろう。これは生理的に存在する、進化的な意味のある不安で、生物として、なくてはならない空洞と孤独なのだということを。

気づいてしまったら、それを抱えて生きるしかなく、誰もそれを助けることもできない。人間は最後は一人で死ぬ。地獄を抱えて生き延びろ、と言うしか、私にはアドバイスができない。