「親露派」「親欧米派」独立後も分断は続いた

ソ連崩壊に伴い、ウクライナは1991年に独立し中立を宣言します。外交的にはロシアを含むCIS諸国と限定的な軍事提携を、1994年にはNATOとパートナーシップをそれぞれ結びました。更に同年、アメリカ、ロシアからの圧力もあり、ウクライナの領土不可侵の保証と引き換えに、保有していた核兵器を放棄するなど、バランス外交に努めました。

内政面では、独立後の民主選挙を経ても対露関係をめぐる国論の分断は収斂せず、2004年にオレンジ革命が起きるなど親露派と親欧米派の激しい政争が繰り返されました。2013年には親露派ヤヌコビッチ政権がウクライナ・EU連合協定の停止と対露経済関係緊密化を打ち出し、2014年にはこれに抗議するユーロマイダン革命(尊厳革命)が起きて、ヤヌコビッチ政権は崩壊します。

同年のロシアによるクリミア軍事侵攻は、こうした騒動で危機感を強めたロシア側の対応だったと思います。

それまでのウクライナは、国論が二分され、軍隊が弱体で、汚職まみれの中途半端な国でした。ところが、2014年のロシアによるクリミア侵攻でウクライナは目覚めます。ロシアに対する反感は新たにウクライナ民族主義的感情を醸成し、国軍はNATO諸国の支援を得て新たな軍改革を始めました。ロシアが2022年2月に軍事侵略を始めた時、ちょうどウクライナは新しい民族国家に脱皮しつつあったのです。

EU・NATOへの加盟は簡単ではない

ロシアのウクライナ侵略が国際的に非難されることと、ウクライナがEUとNATOに加盟することは別問題でしょう。

宮家邦彦『世界情勢地図を読む』(PHP研究所)

戦争の影響であまり問題になってはいませんが、ウクライナ国内の不正・腐敗問題がこの戦争で解消されたわけではありません。

EU、NATOに加盟するためには汚職問題だけでなく、政治制度の透明性など多くの条件を満たす必要があります。これまでウクライナがNATOに加入できなかったのは、ロシアからの圧力以外にも、国内制度の改革や整備が不十分だったこともあるようです。

今の戦争がどう終わるかにもよりますが、ウクライナの加盟は決して容易ではないと考えます。加盟実現は今後のウクライナ国内改革、ロシア側反発の程度、欧米諸国の思惑などを勘案して決まると思います。

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