アサヒの一人勝ちが3年続いた形に

翌89年にもキリン、サッポロともにドライビールの新商品を投入するが、88年の段階でドライ戦争におけるアサヒの勝利は確定していた。

しかも、だ。サッポロは89年2月、主力商品だった「黒ラベル」を突如終売させてしまう。代わって新製品「ドラフト」を大ヒットの願いを込めて投入するが、これが失敗する。シェアは落ち、最盛期が終わった9月に「黒ラベル」を復活発売するという混乱ぶりを晒してしまう。

89年3月に就任した営業出身の新社長が打った“賭け”だったが、逆にアサヒに塩を送る結果を招く。

この年、アサヒの販売量は前年比26.8%増の1億1428万1000箱となり、シェアは前年より4.1ポイント上げて24.2%とする。

キリンは「フルライン戦略」として、「モルトドライ」「ファインドラフト」など4つの新商品を投入するものの、みな不発に終わる。この結果、シェアは2.3ポイント下げて48.8%となり50%の大台を割り込んでしまう。販売量は前年比0.8%増の2億3070万箱。

一時「黒ラベル」を終売してしまったサッポロは、シェアを1.3ポイント下げて18.6%に。サントリーはシェアを0.3ポイント落として8.5%で着地する。

4社の販売量は同5.6%増で4億7305万箱だった。数字を並べれば、アサヒの一人勝ちが、3年続いた形だった。

写真=iStock.com/krblokhin
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3社の追随が「ドライ」という市場をつくった

ドライ戦争を知るサントリーの技術部門元幹部は、次のように振り返った。

「当社を含め3社が、ドライビールを出さなければ、「スーパードライ」は革命を起こさなかったのでは。87年にヒットした、少し味の変わったビールで終わっていたはずです。

永井隆『日本のビールは世界一うまい! 酒場で語れる麦酒の話』(ちくま新書)

つまり、3社の追随がドライという市場をつくり、「スーパードライ」を強力な商品に育ててしまった。そもそもサントリーは、発泡酒をはじめ世の中にないものを開発するのを得意とする会社です。開発型の会社がモノマネをした時点で、失敗は見えてました」

また、別のサントリー技術部門の元幹部は、2002年にこんなことを言った。

「自分たちとほとんど同じ位置にいたアサヒが大ヒットを飛ばしたのを見て、同じことをやれば俺たちにもチャンスはあるぞと考えてドライビールを出したのですが、かえって自分たち自身を見失う結果を招いてしまった」

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