「勤務」ではあるが「労働」ではない
なお「自発的勤務」という言葉は、2019年の中央教育審議会答申で示された造語です。給特法の下で行う公立教員の残業について、国の審議会は改めて次のように定義したのです。
「自発的勤務」は、管理職からの超過勤務命令の下で行っているものではないものの、そのほとんどが、教師が自らの校務分掌等を踏まえて実施しているものであり、それぞれの教師としては業務としてやらなくてはならないものとの意識から行っていることが実態となっている。
(中央教育審議会「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)」2019年1月25日、44頁)
やらなくてはならないものではあるが、管理職からの命令はない。「勤務」ではあるが「労働」ではない。学校のためにと残業する働き手のプライドをズタズタにする、非情な扱いだと感じます。
2022年度に行われた国の調査によると、教諭の1カ月平均残業時間は持ち帰り仕事を含めずに小学校64時間48分、中学校83時間44分、高校64時間52分。教職調整額4%の根拠となった1966年の調査と比べると、残業時間はざっと8〜10倍です。
(注)固定残業代制度を取っている会社でも、「超過分」の残業代を支払わないケースがあり、そういった会社は「ブラック企業」として問題となっています。
使用者側に有利
こんなにも膨大な残業が発生しているにもかかわらず、それが「自発的勤務(教師が好きで行った扱い)」とみなされる問題について考えます。
公立教員の残業が「自発的勤務」とされることの問題は、大きく4点挙げられます。
第1に、自発的勤務は「好きで行った扱い」であるので、どれだけ膨大な残業を行っても、残業代は0円です。4%の教職調整額が残業代でないことは前述の通りです。
第2に、残業の責任者が不明確なことです。残業が「自発的勤務」である限り、突き詰めて考えれば、残業の責任は働いた教師本人に帰せられてしまうでしょう。
それに付随することですが、第3は、司法に訴えても勝てないことです。
無賃の長時間勤務に耐えられなくなり、えいやと裁判を起こしても、「給特法があるから残業代の支払いはありません」「管理職からの残業命令はなく、あなたが好きで行ったものです」と判断されています。
給特法は法廷では使用者側(校長および教育委員会)を守る「無敵の盾」となっているのが現状です。