※本稿は、藤原和博『学校がウソくさい』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
小学3年生は落ちこぼれになりやすい
中学で数学が「できない子」の中には、小学校の算数ですでに落ちこぼれてしまっている子が多い。
小学校では、「2個のリンゴと3個のイチゴではいくつになりますか?」と具体的にイメージできる算数から始まるが、3年生にもなると、「3分の2」というような分数が出てくるからだ。しかも「0.3」という小数も登場して、それらを足したり引いたりしなければならない。さらに「図形」も現れる。
つまり、小学校3年生で一気に、算数が抽象概念の世界に入るわけだ。
昔であれば、分数や小数が生活の中にも存在した。団塊世代の家庭ではきょうだいも多かったから、5人きょうだいにリンゴが3つしかなかったこともあっただろう。でも、今の豊かな社会では、2人きょうだいでも一人っ子が2人いるように育つから、1人にイチゴが2つ、リンゴが1つは与えられるのではなかろうか。つまり子どもにとっては、「3分の2」や「0.3」という事態が生活の中に存在しないから、なんのこっちゃというくらい意味不明なのだ。だから、算数で落ちこぼれやすい。
算数で最も大事な時期に教えるのが“弱い教員”
さらに余計なこともバラしてしまうと、3年生の担任をしているのは、多くの学校では、ベテランの“できる”教員ではない。なぜなら、ベテランのできる教員は、スタートが大事ということで1、2年生の担任に配置されるか、仕上げが大事だからと5、6年生の担任に配されることが多いからだ。あなたがもし校長だったとしても、20人の現有勢力で学年担任を決めなければならない場合、おそらく最後に残った新採教員や指導力が強いわけではない教員を3、4年生に配することになる。
つまり、算数では、子どもの脳に抽象概念が形成できるかどうかというような最も大事な時期に、相対的には弱い教員が教えているのだ。現在、文科省が専科教員の小学校への配置を進めているが、小学校3年からの算数にこそ厚く張るべきだろう。
保護者は、学力が全体として図表1の右側に寄っている私立に我が子を入れさえすれば、この矛盾は解決されると思うかもしれない。しかし、観察されているところによれば、集団が「できない子」と「できる子」に分かれるのは集団の持つ癖のようなものらしく、「できる子」だけを取り出してクラスを編成した場合でも、その中でさらに2つの群れに分かれる。だから、できる集団に入って落ちこぼれてしまった子の劣等感は過剰になるという。
では、どのように教室運営を変えていけばいいのか。このフタコブラクダ化した児童生徒の学力分布を前提とした処方箋は、ICT(情報通信技術)の利用法も含めて、本書の第二部で詳しく述べる。