もうひとつの丸刈り集団

ところで従来の高校球児のような「丸刈りの集団」が他にも存在する。仏教の僧侶である。多くの僧侶の頭は丸刈り、あるいは剃髪だ。僧侶特有のスタイルの根源は、仏教をひらいた釈尊(ブッダ)が出家、修行の際に剃髪したからといわれる。

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髪を伸ばすということは、修行の妨げになるという考えがある。つまり、髪を伸ばしていると、飾り立てたいなどの欲がおき、あるいは薄毛が進行した際には、悩みや執着が生まれる。僧侶が頭を丸めるのは自らへの「戒め」なのだ。

ただし、日本の仏教界では、有髪の僧侶が少なくない。たとえば僧侶の資格を持ちながら、経済的な事情などで寺に入らず、ビジネス界に身を置く者たちだ。僧侶の丸刈り・有髪の割合を調査したものは存在しないが、肌感覚では半々ではないかと思う。有髪の僧侶は意外と多いのだ。

日本で最大の教派、浄土真宗系の僧侶の多くは有髪だ。その理由は、開祖親鸞が「非僧非俗」(一般的な僧侶でもなく、俗人でもない、念仏者)の立場をとり、その理念が後世、弟子たちに受け継がれていったからである。とはいえ、真宗僧侶の中でも丸刈りもしくは剃髪している者は、一定数いる。

浄土真宗以外の宗派はどうか。実は仏教界では修行時は丸刈りや剃髪することがほとんどだが、資格を取得した後には、丸刈りなどを強制する制度はどの宗派にもない。

しかし、修行中に丸刈りに慣れてしまい、「僧侶らしさ」を求める仏教界や檀信徒だんしんとらの目もあって、浄土真宗以外の僧侶の多くが丸刈り・剃髪をしているのが実情だ。

曹洞宗や臨済宗、黄檗宗のいわゆる禅宗の僧侶は、大方が剃髪している。臨済宗・黄檗宗の公式サイト「臨黄ネット」では、「剃髪する日」についてこのように解説している。

《四九日(しくにち)とは、四と九のつく日のことである。この日は内外の大掃除、開浴(入浴)、剃髮することになっており、五日に一回の割りで回ってくる。(中略)剃髪は隣単(りんたん、隣りの席)同士で剃り合うのだが、新米憎にとってこれは大事業である。扱い慣れない剃刀、ときには頭の皮をはがれることも珍しくはない。剃り上がった青い頭のそこかしこに、止血のタモトクソが張られているのも四九日の風景である。旧い雲水たちは器用に剃刀を使いこなし、頭の二つや三つはアッという間に剃り上げてしまうのだが、初めての者にはそうはいかない。相手がコンニャク頭で毛が剛いとなれば、剃る方も剃られる方も泣き出したくなるほどである》