浄土真宗の僧侶だった田中一雄は、明治~大正時代に、死刑囚に道徳や倫理を説く教誨師を務めた。田中は手記で「死刑の必要なし」と死刑制度にあらがい続けた。その真意とは何か。田中の手記を読み解いたノンフィクション作家の田中伸尚さんの著書『死刑すべからく廃すべし』(平凡社)より、一部を紹介しよう――。
刑務所の鉄格子をつかむ手
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明治時代は殺人が区別されていた

田中が手記に書き残した100人を超える死刑囚の犯罪の多くは、時代を投影した強盗殺人や色情による謀殺(計画的殺人)、また酒や賭博などによる故殺(旧刑法では謀殺と故殺は区別されていた)などである。

死刑囚の起こした殺人事件のうちでとくに多いのが、田中が「情欲殺人」と呼んだ事件である。

田中が1900(明治33)年2月2日に絞首台に見送った千葉県出身の謀殺犯の死刑囚(犯行時41歳)は、両親とともに農業に従事していたが、学校には通ったことがない。地元の日蓮宗の寺の信徒で、酒は5勺(約90cc)程度を嗜むぐらいだったが、賭博を好み、夫のある女性と親しくなり、情交をつづけるために女の夫を殺害してしまった。情欲殺人で初犯であった。

田中はこの男が犯行に至ったのは性格に起因していると見た。「小児らしき性急と、強烈なる情欲を有し、その情欲を満足せしめんためには、毫も危険を顧みるのいとまなし。今回の犯行の如きも強烈なる情欲の結合に起因する」。

和歌を嗜む田中は死刑囚をどう諭したか

このような人物に田中はどんな教誨きょうかいをしたのか。死刑執行の前月の教誨では、古歌に精通していた田中は、僧正遍昭へんじょう作の著名な和歌「たらちめはかかれとてしもむばたまの わが黒髪を撫でずやありけむ」を読み上げ、両親が愛情を注いで育てたのは世の中で悪事をするためや世の人から忌み嫌われるためではない、と教誨した。

この死刑囚はこれに強く心を震わせたようで、「誠に申し訳なし」と深く頭を垂れたと田中は書き記している。これだけで男が、犯した罪を悔い改めたとは思えないが、刑の執行を告げられて監獄を出る直前の様子を「出監時の動作」のところで田中は書き留めている。

「死刑執行出監時、最も改悟せるものの如く、藤澤典獄及び(監獄)二課長へ懇切なる謝辞を述べた」