「備考」欄で田中は、「罪なき人を殺害し、余命を保つべきいわれなし」と、この死刑囚のことばに接し、観念して刑場へ向かったと記しているが、そのあとにこんなことばを置いている。

「斯くの如きものもまた死刑を執行する必要を認めざるなり」

なぜだろう。

「すべて情欲より起因する犯罪(謀殺あるいは強盗殺人)は、時日を経過するに従い、改心の情頻りに起こるもの(が)多」いからだと。これは、長い教誨体験によって田中が得た結論の一つだった。

嫉妬から2人の女性を殺害した25歳の少年

東京・東村山出身の25歳の青年には、早くから将来を約束した女性がいた。その契りから2年ばかりしたころ、許嫁いいなずけの態度が急に冷たくなったため問い詰めると、互いの家の経済状態があまりに不釣り合いなので結婚はできないというのだった。今さらなんだ、と青年は憤懣やるかたない思いを抱いたが、じつは許嫁は他家の男との結婚が決まっていたのだった。それを知った青年は嫉妬で狂いそうになったが、許嫁の結婚の世話をした女性がいることを知った。嫉妬は憎しみに変わり、2人に強い殺意を抱くようになった。

1897(明治30)年春、4月下旬のある日の午前8時ごろだった。2人の女性が知人宅から帰宅することを聞きつけた青年は包丁を懐にして待ち伏せしたが、2人は現れなかった。諦めずにその日中探し回り、ついに街道を歩いている2人を見つけ、許嫁の前に立ちはだかり、街道脇の山中に引っ張りこみ「将来を約束しておきながら他家に嫁ぐとはあまりに人をバカにしてる」と罵り、怒りと嫉妬と憎悪の炎を一気に燃え上がらせて懐の包丁を取り出して胸倉をつかんで喉を突き刺し、即死させた。

心配で追ってきた結婚の仲介をした女性は現場を見て、驚き逃げようとしたが、捕まり絞殺されてしまった。非道な犯罪を隠すために青年は、2人の死体を縄で縛り、猿轡さるぐつわをかませ、数カ所を包丁で刺し、陰部にまで激しい傷を負わせ、さらに2人が持っていた金まで奪った。強盗強姦ごうかんを装った非道な情欲殺人であった。

壁に映るナイフを握る手の影
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「一命は助けてほしい」との懇願は聞き入れられなかったが…

むごい殺人を犯したこの青年の両親は健在で、兄弟姉妹が7人もいた。教育はまったく受けておらず、若いころから気ままな生活をしていた。酒は嗜む程度で、家の宗教は真言宗だったが信仰心はほとんどなかった。

そんな家庭環境で育ち、情欲殺人を犯してしまった青年は、教誨のたびに非を諭す田中に訴えるのだった。自分はやってしまった行為を十分に悔悟し、改心しているので、何とか一命が助かるように典獄に頼んでほしいと。この訴えに田中が具体的にどう応答したかは手記には書かれていないが、むろんその訴えが叶えられるはずはなかった。田中はしかし、「備考」欄で書いている。

「彼の如きも永く監督の下に導き教訓することあれば、必ず改心者となるものと信ずるなり。多くは色情より起因する犯罪の如き、死刑執行の必要なき、今さら言をたざるべし」